2024年6月9日 メッセージ要旨
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                     祝福の基として

                                         創世記 18章16~33節                                                                                                                                       
    
          地のすべての国民は彼によって祝福される。          
                                          創世記 18章18節(抜粋)
                                                                 

 ソドムとゴモラの人々が滅ぼされないよう、アブラハムは神にとりなしますが、その罪はきわめて重く(20節)、彼らは神のさばきによって滅ぼされてしまいます(19章24~25節)。正しい者のゆえに町全体を赦すことの方が、神のみこころにかなっていましたが(23~26節. エレミヤ書5章1節)、そこに正しい人は十人すら見当たらなかったのです(32節)

最初の人アダムによって罪が世界に入ったことで、すべての人が生まれながらに罪人であり(ローマ人への手紙5章12節)、今のこの世は、やがて神のさばきを受けて崩れ去る、滅びの束縛の中にあります。

けれども、あわれみ深い神は、御子キリストを世に遣わし、ただひとり正しい方イエス・キリストによって、信じる人に、罪赦され、義と認められる救いを与えてくださいました。罪人たちの身代わりとなられて、十字架の上で罪の罰を受けられたキリストの贖いを通して、信じる人は神との平和を得て救われるのです(ローマ人への手紙3章24節)

この恵みを受けて先に救われた私たちは、アブラハムと同様に祝福の基いとなるべく召されています(18節)。神の祝福が私たちからまだ救われていない人々へと及んで行くよう、私たちは使命を担わされています。

人が友に胸のうちを開いて語るように、神はアブラハムにみこころを明らかになさいました(17節.イザヤ書41章8節)。そこに神とアブラハムの間の親しさがあります。私たちは胸のうちを知る友のような親しい関係を神と築いているでしょうか。神と親しく交わる者に、神はみこころを示してくださるのです。

私たちが恵みによって選び出され、救われたのは、私たちが主の道を守り、祝福の基いとしてふさわしく整えられ、神のみこころが私たちの上に成就するためです(19節)

祭司は一方で神に仕える者として神に近づき、他方で神の御旨を取り次ぐ者として人々のために行動します(ペテロの手紙第一2章9節)。アブラハムがソドムとゴモラの人々に及ぼうとしている滅亡を憂い、彼らの救いのために御前で熱心にとりなしたように、私たちも神に近づき、人々の救いのために熱心に祈る。その一方で、ひとり子を与えるほどに世人を愛される神の恵みを取り次ぐ者として、その祝福と救いが人々へと及ぶよう行動する。そのような役割が私たちに担わされているのです。

祝福の基いとなるべく召された私たちは、人々の救いのために祈り、主の道を守って、その祝福と救いが人々へ及ぶよう、歩んでまいりましょう。