2024年6月2日 メッセージ要旨
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                       主に信頼する人の喜び

                                         ハバクク書 3章17~19節                                                                                                                                       
     
  しかし、私は主にあって喜び躍り、わが救いの神にあって楽しもう。         
                            
                                    ハバクク書 3章18節
                                                                 
 預言者ハバククが活躍した時代、バビロンの脅威がユダに迫りつつありました(1章6節)。

 この時代のユダ国内は暴虐や不法で腐敗し、みおしえは軽んじられていました。ハバククがいつまでこのような状況を放置していおられるのですかと神に訴えると(1章2~4節)。神は諸外国を侵略するバビロンによって背くユダを裁くとお答えになります(1章5~6節)。

 しかし、その答えは、さらなる疑問を引き起こします。なぜ残酷で邪悪なバビロンが、神の民ユダを裁く神の道具とされるのか。悪しき民バビロンが、自分より正しい神の民ユダを呑み込もうとしているとハバククは訴えます(1章13節)。

 ハバククは神の答えを待ち望みました。私たちも、神が何を語られるか、それにどう応じるべきかを知るために、みことばに聞くことが大切です(2章1節)。神と一対一になり、静まって御声を聞く時を持ちませしょう。
 神の約束は必ず実現します。みことばによって示されたことは実現すると信じて待ち望んでまいりましょう(2章3節)。

 ハバククは、バビロンもやがて責めを負い、神のさばきを受けることを示されます。バビロンに対するさばきの預言のとおり(2章7~8節)、彼らはやがてペルシアによって滅ばされてしまいます。

 バビロンに侵略されることによって、ユダの国土にやがて荒廃と不作がもたらされますが(3章17節)、ハバククは、その苦難の中でも主にあって喜ぶと言っています(18節)。これは信仰によって生きる人の特徴です(2章4節)。
 アブラハムは「望み得ない時に、にあって望み抱いて信じ」(ローマ人への手紙4章18節)ました。彼は不妊の妻サラとともに年老いても、なお約束の子を待ち望みました。神が約束を実現させる真実な方であると信頼していたのです。困難な中にあっても、真実な神に信頼する人には望みがあるのです。

 3章18節の喜びは、その真実な神との感k里をたイスラエルの民は絶望し、干からびた骨のように生気のない生活をしていまし過ごしたた
(11節)し、腐敗。関係に基づき、そこから生じています。他のすべてが奪われても、神の愛から引き離されることは決してないのです(ローマ人への手紙8章38~39節)。

神は困難に耐える力を与え、飛び跳ね、はしゃぎまわる快活な雌鹿のような活力を与えてくださいます。神は私たちに高い所を、すなわち勝利の道を歩ませてくださるのです(3章19節)。

 どのような苦難にあっても、主に信頼する人には、真実な神との関係に基づく喜びがあります。神の愛と真実はとこしえに変わることがありません。ですから、主に信頼して、望みを抱いて、主にあって喜んでまいりましょう。