2024年5月26日 メッセージ要旨
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                                                    メッセージ  丸山 豊牧師

                     救いをもたらす神の力

                                         ローマ人への手紙 1章16節                                                                                                                                       
    
 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
                   
          
                                      ローマ人への手紙 1章16節
                                                                 
 神の力とありますが、この「神の力」と対峙するのが、「人の力」で、人の力は、人類の長い歴史のわずか100年程の間に、神が創造なさった被造物を破壊して、世界中に干ばつや集中豪雨をもたらしており、私たちの信仰、熱心、使命感、スキル、財力、後方支援等もまた、オウム真理教や、統一教会のような凶器ともなりかねません。

 イエス・キリストは昇天なさる時、「あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じていたいっさいのことを守るように教えよ。」(マタイの福音書28章19~20節)とお命じになり、伝道と教育のために聖書と、キリストのかしらとした教会を与えてくださいました。

 キリスト者の迫害者でパリサイ派に属する熱心なユダヤ教徒だったパウロが、律法の遵守によっては得られなかった救いを福音に見いだし回心しますと、エルサレムから始めて、イルリコに至るまでを巡り、キリストの福音をくまなく伝え・・・今は、もうこの地方に私が働くべき場所はなく(ローマ人への手紙15章19~23節)、ほかのすべての使徒たちよりも多く働いた(コリント人への手紙第一15章10節)と誇れるまでの伝道の働きを成し遂げ、彼の巡回伝道によって誕生した諸教会と、初代エルサレム教会とがキリストをかしらにした一つの教会であることを確認し合うために、諸教会から募った献金と、その同労者ら(使徒の働き20章30節4節)と共にエルサレムの使徒たちの許に行き歓迎を受けます。

 その後、カイザリアで2年投獄され、囚人として船でローマに護送され、まる2年、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、神の国を宣べ伝え(使徒の働き28章30節、31節)、獄中書簡によって諸教会を教え導いております。

 パウロが最も重要なこととして伝えた福音は、ユダヤ人にとってつまずき、異邦人にとって愚か、ギリシャ人にとっても聞く耳を持たれない、キリストの死と葬りと顕現で、「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい」と述べて、自我に死んでキリストのいのちに生きることによって(コリント人への手紙第一15章3~7節、14節・ガラテヤ人への手紙2章20節)、伝道したのです。

 パウロは、「神の大能の力の働きによって、わたしたちが信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」(エペソ人への手紙1章19節)と祈っておりますが、病弱な両親のために小学校にも行けずに家計を助けて働き、社会に出てからは弟、父、母に死なれ、生活と病と罪と死とに打ちのめされ、挙句の果てに行方不明になった妹を探して神戸の新開地に来た柘植不知人先生は、湊川伝道館の天幕伝道で
イエス・キリストの福音を知り、「この人による以外に救いはない。」(使徒の働き4章12節)とばかりにイエスを信じ救われて14年間伝道に邁進しました。

 民が悔い改めないと知りつつも神がイザヤを遣わしたのも、信じる残りの者が幾人かいるはずで、99匹を残してでも1匹の羊を探し求め続け、いのち賭しても救い出し、罪人が一人でも悔い改めるなら、神の御使いたちの前で喜びがあるのです(ルカの福音書15章9節)。

 世界規模の疫病や、国と国、民族と民族とが争い合い、核兵器の開発競争も再燃して、世の終末がいつ訪れてもおかしくないこの時代に、キリストの十字架と復活の内に顕された神の愛の力を知る私たちは、時が良くても悪くても、世界中のひとに福音を宣べ伝え、忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、進めてまいりましょう。

                                 (丸山豊牧師)