2024年5月19日 メッセージ要旨
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                       御霊によるリバイバル

                                         エゼキエル書 37章1~14節                                                                                                                                       
    
    わたしがあなたがたのうちにわたしの霊を入れると、あなたがたは生き返る。
         
                             エゼキエル書 37章14節
(抜粋)                                                                 
 バビロンに捕らえ移されたイスラエルの民は絶望し、干からびた骨のように生気のない生活をしていました(11節)。エゼキエルは神の息である御霊の働きによって、イスラエルの民が回復すると示されます(5章14節)

人は神のいのちの息である神の霊を吹き込まれることで、生きるものとなるよう造られました(創世記2章7節)。干からびた骨のように生気を失ったたましいも、御霊を吹き込まれると生き返るのです。

イエス様はよみがえられた後、弟子たちに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい」と仰せになりました(ヨハネの福音書20章22節)。ユダヤ当局者たちを恐れて、戸に鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちが、ペンテコステの日に聖霊に満たされると、大胆に主を証しする人へと変えられました(使徒の働き2章)

主のことばを語ると、いのちのない干からびた骨が音を立てて動き、つながり、からだが生じましたが、息はありませんでした(7~8節)。福音は人を救いへと導くいのちのことばです。人々の罪を負って十字架に死なれ、よみがえられたキリストによって、信じる人々は罪赦され、神との平和を得て救われます。そこに神の豊かな愛が示されています。しかし、この福音のことばとともに聖霊が働かなければ、人が救われ、いのちを得ることはないのです。

息に預言するとは、神の息である御霊の働きを懇願する祈りなのです。その祈りがリバイバルには欠かせません。御霊が働かれると、干からびた骨のように罪の中に死んでいた世人がいのちを得、救われるのです(9~10節)

御霊は私たちの信仰に応えて、みわざを行ってくだいます。神は「干からびた骨が生き返ることができると信じるか」と尋ねておられます(3節)。人間的な目で見れば不可能です。けれども、エゼキエルは「神、主よ、あなたがよくご存じです」(3節)と答えています。絶望的でも、神には不可能なことはなく、みこころ一つで回復するという可能性が、この答えには示されています。

イエス様は長血が癒やされた女に対し、「あなたの信仰があなたを救ったのです」と言っておられます。「この方の衣に触れさえすれば、私は救われる」と考えた彼女の信仰に応えてくださったのです(マタイの福音書9章20~22節)

一方、ご自分の郷里の人々の不信仰のゆえに、そこでは多くの奇跡をなさいませんでした(マタイの福音書3章58節)

「もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります」とイエス様は言っておられます(マタイの福音書17章20節)

御霊が働かれると、干からびた骨のように絶望的であっても、いのちに満ちたみわざが行われるのです。そのことを信じて、聖霊を祈り求めてまいりましょう。