2024年5月12日 メッセージ要旨 | ||||
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見ないで信じる者 ルカの福音書 24章1~12節 |
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あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。 ヨハネの福音書 20章29節(抜粋) |
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イエス様が十字架に死なれた日は、日没とともに安息日が始まろうとしていたので、みからだは急いで墓に納められました(23章53~54節)。安息日が終わった週の初めの日(日曜日)の明け方早くに、イエス様のみからだに香料をつけて葬りを完成するために、女たちは墓に来ました(1節)。
ところが、墓を封じていた非常に大きな石が(マルコの福音書16章3~4節)、墓からわきに転がされていました(2節)。墓を開く大きな力がそこに働いたのです(マタイの福音書28章2節)。 墓の中にイエス様のみからだは見当たりません(3節)。それはイエス様がよみがえられたからですが(6節)、女たちは途方に暮れてしまいます(4節)。石が墓から転がされていたことや、墓が空であったことを見ても、イエス様が復活されたなどとは考えつきもしなかったのです。しかし、いのちの君であるイエス様が、いつまでも死人の中にとどまっていることなど、あり得ないのです(5節)。 御使いは、イエス様が十字架につけられ、三日目によみがえると前もって言われたことを、彼女たちに思い出させます(7~8節)。みことばを思い出したことで、空の墓を見て途方に暮れていた彼女たちの困惑は、解かれて行ったことでしょう。「みことばの戸が開くと 光が差し 浅はかな者に悟りを与え」るのです(詩篇119篇130節)。 女たちは墓から戻って、これらのことをすべて報告しましたが(9節)、使徒たちはたわごとのように思って信じませんでした(11節)。 しかし、ペテロは墓に行き、イエス様のみからだを包んでいた亜麻布だけがあるのを目撃します。たわごとのように思えても、行って見たことで、この驚きの出来事を目撃することができたのです(12節)。 使徒たちは、よみがえられたイエス様にお会いするまで、イエス様の復活を信じることができなかったようです。しかし、イエス様は「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです」(ヨハネの福音書20章29節)と言っておられます。 女たちは、イエス様が葬られていた墓で、イエス様がよみがえられ、生きておられるという、考えも及ばない知らせを聞きました。死を連想させる墓で、いのちが、よみがえりが起こったのです。神は私たちが望む以上のことをなさるお方です。 今のこの世界は滅びの束縛の中にあります。生き生きとした神の働きを目にするのが難しい時もあります。けれども、主は「見ないで信じる人たちは幸いです」と言っておられます。私たちが途方に暮れ、困惑する時も、復活の主が生きて私たちに働いておられ、私たちの考えを超えたすばらしいことをなさっている、そのことを信じてまいりましょう。 |
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