2024年4月28日 メッセージ要旨
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                                                    メッセージ 丸山豊牧師

                     良い牧者イエス・キリスト

                                         詩篇 23篇1~6節                                                                                                                                       
    
 わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。

                   
          ヨハネの福音書 10章10~11節(抜粋)                                                                 
  ダビデはこの詩篇で、主と自分との関係を羊飼いと羊の関係になぞらえて、メシアは決して手の届かない存在ではなく、常に自分のことを心配し、備え、導き、癒し、守り、助けてくださる良い牧者であると預言しております。

 多くの人々は、平穏無事なことが普通で、何か特別な事件や出来事が起こることが異常なことと思っており、このようなメシアを必要としませんが、聖書は、世の終末が突然訪れることを告げており、信じるか否かは別として、罪と死に定められた人間は、良い羊飼いの導きを必要としております。

 このダビデのメシア預言は、「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それを豊かに得るためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」と言われたイエス・キリストによって成就されました。 「わたしは……です」と言われたギリシャ語の「エゴー・エイミー」は、神がモーセに明らかになさった神の名ですから、神ご自身が、当時最も身分の低いとされていた羊飼いとなって来臨なさったのです。

 良い牧者イエス・キリストは、一人ひとりの許を訪れて、「戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」とやさしく声をかけ、「一人の罪人が悔い改めるなら、……大きな喜びが天にある」とおっしゃって、こどもが親を「ママ」「パパ」と甘えて呼ぶように、主に向って、「アバ、父よ」と親しく祈るよう教えて下さいました。

 そして、ご自分を救い主と信じ従う者をいこいのみぎわに伴い、義の道に導き、みことばの糧をもってその魂を生き返らせ、実際に12弟子たちを晩餐に招いて、その足をお洗いになり、パンと葡萄酒をもってもてなし、主が再び来られる日までこれを守るようにと定められ、永遠のいのちに憩う新天新地の住まいをも約束なさって、十字架に命を投げ出し、復活なさって人間の最大の敵である「罪」と「死」に勝利なさいました。さらに、「わたしの羊を飼いなさい」とペテロに迫り、弟子たちに宣教を命じて昇天なさり、五旬節の日には、彼らの頭に溢れるばかりの香油(助け主・聖霊)を注いで、彼らを「良い牧者」と信任なさいました。

 この良い牧者イエス・キリストに従う者には、乏しいことがありません。

 たとえ人生に迷うことや、取り返しのつかないことや、災害や病気に見舞われていのちを落とすようなことがあっても、必ず、永遠のいのちへと導いて、いつまでも主の家に住まわせてくださいます。

 このメシアを、自分だけの良い牧者とせず、多くの人々にあかしして、共に手を携えてとこしえの住まいに導かれて参りましょう。                         (丸山豊牧師)