2024年2月25日 メッセージ要旨
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                                                    メッセージ  丸山豊牧師

                       取税人マタイの召命

                                          マタイの福音書 9章9~13節                                                                                                                                       
    
 あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。
                   

                                  ヨハネの福音書 15章16節
                                                                 
 マタイ自身については、その名前と職業以外は何も知られておらず、使徒の働き1章13節の使徒リストにその名が記されて以降、教会史にもその名はありませんが、彼の本名はレビでユダヤ人でした。

 収税所に座っていた彼は、自分が取税人であることに悩み、自分の罪を知り、医者を必要とする病人で、心の貧しい者、悲しむ者、義に飢え渇く者で、主イエスの召命を受けると即座に応じて12弟子に加えられました。 

 マタイは「神の賜物」と訳しますが、ギリシャ語は複数形のマタイオスですので、「神から数々の賜物を与えられた者」という意味が込められており、マタイの福音書25章のタラントの譬えには、主人から5タラントを預かると、それを元手に5タラントを儲ける忠実な僕が登場します。当時の金1タラントは現在の約1億1千200万円に相当し、5タラントは膨大な財産ですので、マタイが生来持つ能力に応じて預かった賜物とは到底考えられません。

 主イエスが人の生来の能力に応じて召命なさるとすれば、主に登用を申し出た金持ちの青年や律法学者たちを、なぜ召命なさらなかったのでしょう。

 13節の真実の愛(ヘブル語のヘセド)は、「ある商人が、高価な真珠1個を見いだすと、行って自分の持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである」(マタイの福音書13章4節)とある商人。つまり御位を捨てて人となられ、ご自分のいのちまで投げ出して、罪と死の縄目から私たちを買い取ってくださったイエスご自身によって顕された愛で、「高価な真珠1個」は一人格です。

 この真実の愛に、真実の愛をもって応答したマタイは、当時口頭で伝えるしか手段を持たなかった福音の真理を、できる限り多くの人に知って貰おうと、主イエスと寝食を共にしながら、三年間書き溜めてきたメモを元に、主の「ことば」と「その行ない」を福音書として構成し、神の真実の愛に、入りなさい!従いなさい!受け入れなさい!悟りなさい!証言しなさい!悔い改めなさい!行動しなさい!と、読者に力強く迫ったのです。

 こうして著されたマタイの福音書は、アンテオケ教会や、初代エルサレム教会にあっという間に流布されて、多くの人々を神の国に招き入れるための種まきと収穫の働きに尊く用いられ、永遠のベストセラーとして、世界中の人々に読み継がれて来たことを思います。 働き人は、主の主権によって召された人でなければなりませんが、神の真実の愛にいかにして応えるか!これに勝る神の賜物は他にありません。

 神の真実の愛に応えて、自分も真実の愛に生きようと願う人を、主は求めておられます。

 主なる神の真実の愛を、土の中に埋めて置くようなことがあってはなりません。経済的な必要も、場所も、機会も、方法も、知恵も知識も、イエスキリストの名によって父に求めるものはなんでも、父なる神が必要に応じて与えて下さいます。

 今は恵みの時、救いの日です。田畑は実って、刈り入れを待つばかりです。 主は「わたしに従って来なさい。」とあなたを招いておられます。 

(丸山豊牧師)