2024年11月3日 メッセージ要旨
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主の御手がともにあるので

                         使徒の働き 11章19~26節
 
                                                                                                                                      
     
 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。

                                     使徒の働き 11章 21節
                 
           
 迫害により散らされた人々は、福音を伝えながら巡り歩きました(19~20節.8章4節)。激しい迫害を受けたのに(8章1節)、福音を語るのをやめなかったのは、それが伝えずにはいられない喜びの知らせだったからです。
 神に愛されていることほど、人に大きな喜びを与えるものはありません。その神の愛は、私たちのためにいのちを捨ててくださったキリストの十字架に示されています。神の愛を示すキリストの福音、喜びの知らせは、迫害によって妨害されても途絶えることがなかったのです。
 迫害により散らされた人々は、アンティオキアに来ると、異邦人にも福音を宣べ伝えます(20節)。すると、大勢の人が信じて主に立ち返りました(21節)。迫害により散らされるという苦難が、アンティオキアに異邦人教会を生み出すという益をもたらしたのです(ローマ人への手紙8章28節)。
 「地の果てまで、わたしの証人となります」(1章8節)という主の約束が、迫害により散らされたことをきっかけに実現して行きました。私たちにも、さまざまな苦難がありますが、日々の労苦をとおして、将来と希望を与える神の計画が実現して行くのです(エレミヤ書29章11節)。
 主の御手がとともにあったので、迫害から逃れて難民のように困窮する人々をとおして、大勢の人が主を信じるという偉大なみわざが行われました(21節)。神の大きな御手は、私たちの困難や弱さに少しも妨げられることなく、小さな私たちを用いてみわざを行うことがおできになるのです。
 バルナバは、皆を励まし(23節)、異邦人への使徒として召されていたサウロ(後のパウロ)を、その召しにふさわしい異邦人教会アンティオキアに連れて来ました(26節)。彼は、「慰めの子」と呼ばれるほどの愛の人だったのです(4章36節)。人を励まし、人の益となるよう導くバルナバのように、愛に生きることのできる人は幸いです。
 タルソにいた間、日の目を見ずにいたサウロに、召しにふさわしい場が与えられる時が来ました。冬枯れのようになっていた桜の木も、春になると花開きます。私たちも耐え忍んでいれば、実を結ぶ時が来るのです。
 市民が、キリスト者とあだ名するほど(26節)、アンティオキアの信徒は熱心にキリストを宣べ伝えました。私たちも、キリストを証しし、世の光としての働きを果たしてまいりましょう。
 主の御手は私たちとともにあり、主を信じる人を起こしてくださいます。労苦が報われ、実を結ぶ時が来ることを信じて、備えられた道を一歩一歩進んでまいりましょう。