2024年11月17日 メッセージ要旨
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シオンへの大路を行く人の幸い

                         詩篇 84篇 5~7節
 
                                                                                                                                      
     
 なんと幸いなことでしょう。その力があなたにあり心の中にシオンへの大路のある人は。
  彼らは涙の谷を過ぎるときもそこを泉の湧く所とします。

                                     詩篇 84篇 5~6節(抜粋)
                 
           
 「シオン」とは、エルサレム神殿が建っていた丘のことです。この詩篇がシオンにある神殿を慕っているのは(1~2節.4節)、そこに臨在しておられる神を慕い求めていたからです。「シオンへの大路」(5節)は、神殿におられる神に向かう大路です。
 話すことも動くこともない木や石の偶像とは違い、まことの神は「生ける神」(2節)、生きておられる方です。目には見えませんが神は確かにおられ、祈りに答え、人を救い、生きて働かれます。神はすべてのものをお造りになり、いのちをお与えになる、いのちに満ち満ちた方です。
 シオンへの大路、神に向かう大路のある人は、生ける神の御力によって、涙の谷のような苦難にあっても、そこを祝福の泉の湧く所とします(6節)。
 ヨセフは兄弟たちによって売られ、エジプトで奴隷とされてしましたが、神がヨセフとともにおられ働かれたゆえに、家が祝福されるのを主人は見ました(創世記39章3節.5節)。ヨセフは無実であるのに投獄されてしまいましたが、神は恵みを施し、ヨセフが監獄の長の心にかなうようにされました(創世記39章21節)。ヨセフは苦悩の監獄からファラオのもとに召し出され、エジプトの支配者に任命され、飢饉の時に、父ヤコブと兄弟たちをはじめ、多くの人々のいのちを救いました。神がヨセフに生きて働かれたので、涙の谷が泉の湧く所となったのです。
 この世は最初から苦しみや悲しみのある「涙の谷」であったわけではありません。神が世界をお造りになったときには、「それは非常に良かった」(創世記1章31節)と記されています。エデンの園には恵みに満ちた幸せがあったのです。
 ところが、人が神に背を向けて罪に陥り、神との関係を壊したゆえに、今やこの世は、人間の罪に巻き込まれて滅びの束縛の中にあり、あらゆるものが衰え、朽ち果て、死に向かって行きます。
 しかし、神は滅び行く世を救うために、十字架の上で人間の罪を負われたキリストによって、信じる人に救いの道を開いてくださいました。そこに神の豊かな愛が示されているのです。
 へブル人への手紙には、シオンの山とは、「生ける神の都である天上のエルサレム」であると記されています(12章22節)。キリストにある者は、死によって体が朽ち果ててもなお生き続け、天の都シオンで神の御前に現れます(7節)。それがシオンへの大路のある人の行き着く所です。
 今日は召天者合同記念礼拝で、お写真が並んでいます。主を信じ、シオンへの大路を歩まれたこの方々は、生ける神の御力によって、涙の谷を泉の湧く所とし、今も天の都シオンで神の御前に生き続けています。主とともに歩む道がどんなにか幸いであるかを覚え、私たちもシオンへの大路を歩んでまいりましょう。