2024年10月13日 メッセージ要旨
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神を待ち望め

                         ホセア書 12章1~18節
 
                                                                                                                                      
     
  あなたは、あなたの神に立ち返り、誠実と公正を守り、絶えずあなたの神を待ち望め。

                                         ホセア書 12章6節
                                                                 
 この時代、増大する大国アッシリアの影響下にあって、小国イスラエルは弱い立場にあり、アッシリアに援助を求めたり、逆にアッシリアのくびきを嫌ってエジプトに助けを求めたりしていました(1節)。
 しかし、それは群れの増強を図る羊飼いが風を飼うように無益で、破滅をもたらす熱風「東風」を追うように有害なことでした(1節)。アッシリアとエジプトの間を行ったり来たりする政策は、両国の怒りを自らの身に招くことになるからです。
 風を飼い、東風を追って増したのは、イスラエルの勢力ではなく、虚偽と暴行でした(1節)。神により頼むことで、イスラエルの歩みは確かにされるのです。
 良い仕事に就き、貯蓄があっても、企業が倒産し、貨幣価値が暴落すれば、その生活は揺らいでしまいます。すべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き(テモテへの手紙第一6章17節)、養ってくださる神に拠り頼むことで、私たちの生涯は幸いで確かなものとなるのです。
 ヤコブは、年をとって目がよく見えなくなった父イサクをだまし、兄のエサウに扮して祝福を奪い取りました(創世記27章)。ヤコブの人生に虚偽があったように、その子孫である民全体が愚かな性質を引き継いで、過ちに陥っていたのです(2節)。
 兄のかかとをつかんで産まれて来たことは、ヤコブの衝動的で厚かましい性格を示しています(3節)。しかし、ペヌエルでは、兄との再会を前にして川を渡ることができず、一人夜明けまで神と格闘し、祝福を願いました(3~4節.創世記32章22~31)。それは、ホセアの時代の民が倣うべき悔い改めと神への立ち返りの一例です。
 兄エサウの怒りから逃れるため郷里を立ち去ったヤコブに、神はベテルで現われて、ヤコブがどこへ行ってもともにいて守り、約束を成し遂げるまで決して捨てないと仰せになりました(4節.創世記28章10~22節)。そのようにヤコブの人生の中心には神がおられたのです。
 待つことには戦いがあります。なぜならそこに焦りが生じるからです。そして、神が立ち上がられるのを待たないで、自分で何とかしてしまおうとします(6節)。ホセアの時代の民が、アッシリアやエジプトに頼って、神に拠り頼もうとしなかった理由も、そこにあったのでしょう。
 ヤコブはおじラバンの娘を妻に迎えるために働き、独立するまで20年間もおじに仕えなければなりませんでした。ヤコブはそこで待つことを学ばせられたのです(12節)。
 神に拠り頼むには、神が立ち上がられてみわざを成し遂げられるのを待たなければなりません。焦って自分で何とかしようと悪あがきするのは、風を追うようなこと。どのような時も神に立ち返り、信頼して神を待ち望んでまいりましょう。