2023年9月24日 メッセージ要旨
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                                                        メッセージ    丸山豊牧師    

                       信仰による祈り

                                          ヤコブの手紙 5章13~20節                                                                                                                                       
    
 信仰による祈りは、病んでいる人を救います。主はその人を立ち上がらせてくださいます。もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
                                                           
                                   ヤコブの手紙 5章15節
 
 世界中の人々が、病気や自然災害や戦争等、あらゆる種類の災難や不幸にあって苦しんでおります。

 どんな苦しみの中にあっても、キリスト者は自分の非運を嘆いたり、人に訴えたり、互いに裁き合ったりせずに、主なる神に祈ることができます。また、苦しんでいる人のために祈ってあげることも出来ます。祈って、喜んで、讃美していくことはキリスト者の使命であり、特権です。

 あらゆる苦しみがすべて罪に原因する訳ではありません。むしろイザヤ書53章の苦難のしもべは、悲しみの人で病を知っており、主イエスご自身は、自ら十字架にかかって苦しまれ、私たちの罪を贖ってくださいました。

 主の苦難に倣う謙虚な祈りを通して、私たちは何を求めるべきかを示していただき、その祈りの答えとして、すべてのことが共に働いて益となることを知るのです。

 互いに罪を言い表し、互いのために祈るのは、決して自己満足的、自虐的、他人を傷つけるような告白ではなく、神とお互いの関係を正して、互いに赦し合い、心身ともに癒されるためで、神と人との関係が正されている人の祈りは、働くと大きな力があります。

 アハブ王夫妻(イゼベル)と、北イスラエルの民らを、豊穣神バアルの偶像礼拝から連れ戻して、彼らのたましいを死から救い出そうとしたエリヤは、雨が降らないよう主に祈りました。すると、三年六ヶ月の間、雨は地に降りませんでした。その間、エリヤはカラスと母子家庭に養われ、三度にわたって主に祈り、死んだ子どもを生き返らせました。

 三年目にアハブ王に会ったエリヤは、「火をもって答える神を神としよう。」とバアルの神との対決を迫り、イスラエルの神、主に祈りました。すると、主の祭壇に火が降って、イスラエルの民は、「主こそ神です。主こそ神です」と主を讃えました。  

 さらにカルメル山の頂きに登って地にひざまずき、膝の間に顔をうずめて、「雨を降らせてください。」と七度に及んで祈りました。すると大雨となりましたが、アハブ王夫妻は悔い改めるどころか、エリヤを殺そうとしたので、彼は荒野に逃げました。そして、「ただ私だけが残りました。」と主に訴えますと、主は、「わたしはイスラエルの中に7千人を残している。…」と、細き御声をもってエリヤに臨み、エリヤは心身ともに癒されて、再び立ち上がる事が出来ました。

 私たちが家族や友人、また病気、感染症、自然災害、戦争等で苦しむ人々のためにとりなし祈る時、自分だけが祈っているのではありません。世界中のキリスト者の「信仰による祈り」がささげられているのです。

 そのことを覚えて、うまずたゆまず!成るまで得るまで!主なる神に祈って参りましょう。

(丸山豊牧師)