2023年7月23日 メッセージ要旨
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                                                             メッセージ  丸山豊牧師 

                       人の報いより天の報いを求めよ

                                          マタイの福音書 6章 1~4節                                                                                                                                       
    
 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。
                                                                                                                                                       マタイの福音書 6章1節
 
 主イエスは、人にほめられたいという動機と目的をもって、人目につきやすい会堂や通りで施しをしていた、パリサイ人らの偽善を例に挙げて、「彼らのように地上で報いを受けてしまうのではなく、隠れたところで見ておられる天の父から報いを受けなさい」と繰り返し、人々に警告なさいました。

 「キリスト教も所詮は御利益宗教ではなか」と思われるでしょうが、「罪赦され救われること」そのものが御利益ですし、33節には、神の国と神の義を求めて行くなら、この世の必要も満たされるとありますので、この世の御利益宗教との違いがあるとすれば、それは、「地上での報いではなく、天での報いを受ける」というところにあります。この報いの原則は、決して信仰義認の原理と矛盾しておりません。信仰義認の基礎であり、成果としての報いです。

例えば、富める青年が主イエスに、「先生 永遠の命を得るためには どんな良いことをすればよいのか」と質問した時、主は、「完全になりたいのなら あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与え その上で わたしについて来なさいなさい そうすれば あなたは天に宝を持つ」とおっしゃって、自力で永遠の命を手に入れる事など出来ないことを彼に悟らせようとしました。しかし、多くの財産を持っていた彼は、地上の宝が捨て切れず、永遠の命を手に入れることを断念して、主の許を去ってしまいました。それを見たペトロが、「私たちはすべてを捨ててあなたに従って来ましたので、何がいただけますか」と質問しますと、主イエスは、「わたしの名のために 家 兄弟 姉妹 父 母 子ども 畑を捨てた者はみな その100倍を受け また永遠の命を受け継ぎます」と約束なさいました。そして、葡萄園の主人の譬えをなさって、天の御国に於ける恩寵の理念をお示しくださったのです(マタイの福音書19章29節~20章16節)

 主イエスご自身、「先の者が後になり」、十字架におかかりくださって、何の功徳もない者が救われて、真っ先に天の父からの報いが受けられるようにしてくださったことにより、名誉や地位や財産のゆえに自分たちの方が勝っていると思っていた者たちの「報いに対する価値観」が一変されて、天の御国では、身分・能力・器量・持物の差もなく、勝ち組・負け組もなく、最後に救われた者が、真っ先に天の父からの報いを受けても、妬む者などひとりもおりません。

 「主イエスと共に十字架にかけられて、死ぬ間際に悔い改めて救われた犯罪人と、非常に多くの時間をキリストとともに過ごし、忠実に仕えてきた聖徒たちが、共に手を取り合って神に感謝と賛美をささげ」、「放蕩三昧に身を持崩した挙句に、悔い改めて救われた弟と、お父さんに忠実に仕えて来た兄とが共に喜び合い」、「罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがある(ルカの福音書15章10節)」。それが、地上での100倍の報いを天の父から受けた者たちの集う、天の御国なのです。

 私たちも、地上の報いではなく、天の父の報いを求めて、信仰生活を続けて参りましょう。

(丸山豊牧師)