2023年6月25日 メッセージ要旨
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                                                           メッセージ 丸山豊牧師   

                       平和をつくる者の幸い

                                         マタイの福音書  5章1~12節                                                                                                                                       
    
   平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。
                                                                                                                         マタイの福音書 5章9節
 
 誰でも、平和に対しては漠然としたイメージしか抱いていないが、戦争に対しては具体的なイメージを抱いている。人類の3500年間の歴史の中で、1万回の戦争が起きて、15千万人の命が失われ、その3分の1が、20世紀に起きた化学兵器による戦争で死んでいる。現在、世界の9カ国で総数12,520発の核弾頭が保有され、AIと軍事の合体による新たな戦争の脅威も加わって世界は二分され、国際的な軍縮・不拡散・軍備管理の枠組みは大きな逆風に晒されている。

主イエスは、心が貧しい者・悲しむ者・柔和な者・義に餓え渇いている者・あわれみ深い者・心の清い者・平和をつくる者・義のために迫害されている者は幸いであると語られた。

この幸いはこの世のはかない幸いとは違って、富や名誉には目もくれず、死の痛みをもって世のために悲しみ、自我を主張せず、神の御旨に従い、自分の生活が神の義によって支配されることを願い、あわれみ深く、迫害に遭っても神に誠実であり続け、互いを信じ合い、生けるもの全てに配慮する者の幸いで、時間の経過や、状況の変化や、苦しみ・悲しみや、戦争によっても決して失われない。この究極の教えが「悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。」「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイの福音書5章39~44節)」である。

このように主イエスはご自分に従う者に安楽な生活を約束しておられない。バプテスマのヨハネも、使徒たちも迫害されて命を失い、パウロもテモテに対して、「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受ける(テモテへの手紙第二3章12節)。」と言っている。

それは、イエス・キリストご自身が、神の御姿であられるのにご自分を無にして、しもべの姿を取り、人間と同じようになられ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで神のみ旨に従い尽くして(ピリピ人への手紙2章)、心の貧しい者・悲しむ者・柔和な者・義に餓え渇いている者・あわれみ深い者・心の清い者・義のために迫害されている者となられ、「平和をつくる者」となられたからである。

このお方によって救われた私たちは、平和の根源であられる神に対して、既に平和を得ており(ローマ人への手紙5章1節)、神との平和を得た者たちは、天の御国を得、慰められ、地を相続し、満ち足り、あわれみを受け、神を見、神の子どもと呼ばれ、天の国の相続者となり、その受ける報いは大きい。

この山上の説教は、「天の御国はその人のものだからです。」で始まり、「天の御国はその人のものだからです。」で締めくくられており、神との平和を得ている者の魂は、何ものも傷つけることはできないし、どんなに厳しい迫害を経験しても、神の許から離されることはない。神は永遠の命という報いに必ず導いてくださる。

私たちは世の終わりに備えて、一人でも多くの人が、「神との平和による幸い」に与かれるよう、とりなし、祈り続ける使命が与えられている。(丸山豊牧師)