2023年6月11日 メッセージ要旨 | ||||
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愛を追い求めなさい コリント人への手紙第一 13章1~13節 |
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愛を追い求めなさい。 コリント人への手紙第一 14章1節(抜粋) |
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コリントの教会では、特別で目立つ賜物、特に異言が重視されていたようで(1節)、賜物をめぐっての競争心や嫉妬、対立もあったと推測されています。意味不明の異言を恍惚状態で語ることは追い求めても、キリスト者としての愛の実践はおろそかにされている。コリントの教会はそのような状態にあったのかもしれません。
それに対してパウロは、どのような賜物も愛なしには何の値打もなく、意味がないと語ります(1~3節)。愛はすべての賜物にまさるすぐれた賜物なのです(12章31節)。 パウロが語る愛の特質に、自分がピタッと当てはまる人は、おそらくいないでしょう(4~7節)。人というものは、いつでも寛容で、親切であることが難しく、苛立ったり、人がした悪を心に留めたりするものです。ねたんだことも、自慢したことも、高慢になったことも、自分の利益を求めたこともない人を探す方が難しいでしょう。人の内に真実な愛はないのです。 それに対して、イエス様はご自分の利益をお求めにならず(5節)、むしろ、私たちの益のためにご自分のいのちを捨ててくださいました。私たちが罪赦され、神と和解して救われるために、イエス様は私たちの罪を負って十字架に死なれたのです。そこに真実な愛があります。神こそ真実な愛に満ちておられる方で、その愛はキリストの十字架に表されているのです。 愛は神からの賜物です。聖霊によって神の愛が心に注がれることで、私たちは真実な愛に生きる者とされるのです。 今の世が終わって新しい完全な世界が現れたら、部分的な預言や知識は必要のないものとしてすたれ、異言も役割を終えてやみます(8~10節)。 それは、幼子の言葉や考えを大人が捨て去るのに似ています(11節)。賜物を自己の栄誉のためにしか用いないコリントの人々の幼児性も、パウロはここに暗示しています。 今の世で知り得る神に関する知識は、当時の鏡(金属を磨いたもの)にぼんやり映るもののように不完全ですが、来たる世においては、顔と顔を合わせて見るように明白になり、私たちが神に完全に知られているように、私たちも完全に知ることになるのです(12節)。 神に信頼し拠り頼む関係は、後の世にも続いて行きます。単調ではなく、すばらしい後の世には、神に根ざした希望があります。そして、神に愛され、自らも真実な愛に生きる愛も、永遠に続きます(8節)。これら三つの中で、愛は最もすぐれている賜物です(13節)。 互いの間に愛があることで、キリスト者の交わりであることが人々に認識されます(ヨハネの福音書13章35節)。愛に満ちた御国の輝きを世に映し出すことができるよう、愛の賜物を追い求めてまいりましょう(14章1節)。 |
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