2023年2月5日 メッセージ要旨
メッセージ      Home
                                                              

                    成果が見られない時も

                                            ルカの福音書 5章1~11節                                                                                                                                       
   すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。  でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」                                                                                                                                              ルカの福音書 5章5節
 
 ペテロたちは夜通し漁をしたのに一匹も獲れず(5節)、舟から降りて網を洗っていました(2節)。漁師の常識からすれば、これ以上漁を続けても無駄だったのでしょう。

 しかし、神にとって不可能なことはなにもありません。主のことばのとおりに、深みに漕ぎ出して網を下ろすと(4節)、おびただしい数の魚が獲れました(6節)。

 ペテロをはじめとする弟子たちが、やがて人間をとる漁師として伝道し、多くの人が救いに入ることを象徴するしるしとして、この奇跡は行われたのです
(10節)

 しかし、そのことが現実となるには、神の時を待たなければなりません。ペテロたちが伝道することで、おびただしいい人々が救いに入るに至るは(使徒の働き2章~)、主の十字架と復活を経なければなりません。すべてのことには神の時があるのです。

 大漁の奇跡は、漁をするのに最適な夜間ではなく、日が昇り、漁師たちが網を洗って仕事を終えようとしていた時に起こりました。そこにも、そこにも、人の理解を超えた神の時があることが示されています。
ど兄たちに対する恨みが見られません。
 

 ペテロは、「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから」(8節)と言っていますが、主はペテロから離れるどころか、反対に彼を弟子としてそば近くに召してくださいました。

 神は罪深い私たちを遠ざけるのではなく、むしろご自分の恵みへと私たちを引き寄せてくださいました。すなわち、十字架の上で私たちの罪を負われたキリストによって、信じる私たちの罪を赦し、私たちを神との親しい交わりにあずからせてくださったのです。

 その十字架の愛を受けた者として、私たちにも人間をとる漁師として人々を主のもとへ導く役割が担わされています。おびただしい数の魚が入った網を、ペテロ一人ではなく、仲間たちもともに引き上げています(7節)。伝道に従事している人だけでなく、キリストを信じるすべての人が協力し合うことで、伝道のみわざはなされるのです。

 竿を下ろしてから魚が釣れるまで、じっと待っていなければならない時を、退屈に思う人もいれば、どんな魚が釣れるか期待しながら待つ人もいます。神が人々をお救いになるその時を、期待しながら待つか、それとも退屈しながら待つか、そのどちらかなるかは、私たちの信仰にかかっています。

 夜通し働いたのに何ひとつ獲れなかったペテロが、「おことばですので」と言って網を下ろしたように、私たちも成果の見られない時、人を主のもとへと導く漁をやめてしまわず、主に従って網を下ろし続けることが大切です。

 信仰を持って神の時を待ち望みつつ、人間をとる漁師として歩み続けてまいりましょう。