「そのころ」とは、ローマが当時「全世界」と呼ばれる程の大帝国となり、「ローマによる平和」の基いをもたらしたオクタビアヌスが、紀元前27年に元老院からアウグストゥスの称号を与えられて、初代皇帝としてローマ帝国を治めていた時代で、民衆はアウグストゥスを救い主と信じ主なる神と崇めて、紀元14年、彼が没した8月を元老院「August]としました。
このような軍事的な力によって打ち立てられ、一英雄に栄光が帰せられる平和でなく、いと高き神に栄光が帰せられ、み心にかなう全世界の人々に真の平和をもたらす救い主が、紀元前6~4年頃、ベツレヘムに生まれました。
エルサレム南方7キロの丘の上にある美しい町ベツレヘムは、ここに行く道のかたわらにラケルが埋葬され、ルツ記の舞台となり、ダビデの生まれ故郷で、ダビデが預言者サムエルから油をそそがれ、3人の勇士が命を賭してダビデに与えた水は、このベツレヘムの井戸から汲んで来た水でした。」
このベツレヘムで、小麦や大麦の生産をしていたエリメレクは、飢饉に見舞われますと、モアブの地に家族と共に避難しますが、彼も二人の息子も死んで、マフロンの妻であった異邦人のルツが、ユダヤ人のナオミにすがりついてベツレヘムに帰りますと、「はからずも」という神のご計画が働かれて、ベツレヘムの大地ボアズの畑にルツは導かれ、ルツを見初めたボアズは、エリメルクと二人の息子の物全てをナオミの手から買い取り、モアブの女ルツをも買い取って自分の妻とすることを、町の長老十人の前で公明正大に宣言します。
こうしてルツとボアズは結ばれてオベデが生まれ、ナオミの子孫にダビデが与えられて、異邦人とユダヤ人の両者は、共に神からの「共同相続人」とされたのです。
ダビデの末裔であったヨセフは、彼の生まれ故郷で住民登録を済ませるために、身重のマリヤと共に、ナザレの町から長旅をしてベツレヘムにきましたが、客間に刃、私たち罪人の救いのために人となられた救い主を迎える余地はなく、すべての民に与えられる大きな喜びは、この地方で夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた羊飼いたちに最初につげられました。
イスラエルの歴史に登場する人物の多くは良い牧者で、人々から尊敬される指導者であり、イエス・キリストは、「わたしはよい牧者である。よい牧者は、羊たちのためにいのちを捨てます。」(ヨハネの福音書10章11節)とおっしゃいました。
ベツレヘム近郊のミグダル・エデルで(創世記35章16節21節)、野宿をしながら飼われていた羊の群は、エルサレム神殿に献げられる傷のない最高の羊で、救い主誕生の知らせを受けた良い牧者たちは、急いでベツレヘムに行って、布にくるまれ、飼葉おけの中に寝かせられている幼子に、自分たちをはるかに越えた偉大な大牧者で、やがて十字架にかかり、ご自分をまったきいきにえとして神にささげ、贖いとなられる清き傷のない神の小羊のしるしを見て、世界で「最初」の「真実」なクリスマスを喜び祝ったのです。
(丸山豊牧師)
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