2023年1月15日 メッセージ要旨
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                    神の摂理に目を向けたヨセフ

                                                創世記 45章1~28節                                                                                                                                       
  神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。                                                                                                                                 ローマ人への手紙 8章28節
 
 自分がヨセフであることを兄弟たちに明かす際、「私をここに売ったことで、今、心を痛めたり自分を責めたりしないでください」(5節)と、ヨセフは優しく語ります。そこには驚くほど兄たちに対する恨みが見られません。

 兄たちに売られたことでヨセフはエジプトに連れて行かれたのですが、その出来事を用いてヨセフをエジプトに遣わした神の摂理の方に、ヨセフは目を向けています(5節.7~8節)。そこにこそ、ヨセフに驚くほど憎しみが見られない秘訣があるのです。

 神がヨセフをエジプトにお遣わしになったのは、エジプト全土の統治者とされたヨセフを通して、兄弟たちを飢饉から救うためでした(6~8節)。ヨセフがエジプトに奴隷として売られるという、人の目には悪条件としか思えないようなことも用いられて、神の救いのご計画は達成されるのです。

 私たちはともすると神を仰ぎ見ることを忘れ、人からされたひどいことや、過去の失敗、日々の様々な困難なことなどに目を向けがちなのではないでしょうか。神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを覚えて(ローマ人への手紙8章28節)、神を仰ぎ見ることが、憎しみや後悔や不安などから解放されて、平安と感謝に満たされる秘訣なのです。

 ヨセフを売った罪の責めを負ってきた兄弟たちにとっては、エジプトの地の最良のものにあずかるというのは(18節)、身に余る恵みであったに違いありません。神の御前に悔い改めた兄弟たちには、罪の責めの代わりに、満ちあふれる恵みが用意されていたのです。

 そのように、神の御前に悔い改める者は、身に余る恵みにあずかるのです。すなわち、十字架の上で人々の罪を負われたキリストによって、悔い改める者は罪赦され、神とのいのちの交わりというこの上ない幸いにあずかるのです。

 ヤコブは、エジプト全土を支配するヨセフの栄誉を聞きましたが(26節)、ヤコブにとっては、ヨセフが生きているだけで十分で(28節)、ヨセフの栄誉については二の次でした。

 私たちはとかく自分の能力や働きによって自分の価値をはかりがちです。しかし、神にとっては、神の子どもとされた私たちが御前に生きているだけで十分価値があるのです。

 神はご自分がお造りになった多くの人々が、御前から失われていることに心を痛め、ご自分の御前に生きるよう、キリストを通して招いておられます。コロナ禍になって三年ほど経ちましたが、流行はおさまらず、いつまで続くかわからない状況にあります。しかし、伝道するには悪条件に見えるこのような状況も用いられて、神の救いのご計画は達成されるのです。

 ヨセフのように、すべてのことがともに働いて益となる神の摂理に目を向けて、神を仰ぎ見てまいりましょう。