2021年9月5日 メッセージ要旨
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                     神の恵みに生かされて

                                       マタイの福音書 20章1~16節 
                                                                                                                                    
     
 ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは無駄にはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。働いたのは私ではなく、私とともにあった神の恵みなのですが。
                                       コリント人への手紙第二 15章10節 
 
 ぶどう園の主人は、早朝、9時ごろ、12時ごろ、午後3時ごろ、5時ごろに、それぞれ労働者たち雇います(1~7節)。5時ごろに雇われた者たちが働いたのは、1時間だけでした(12節)

 ところが、主人は、賃金を払う際、午後5時ごろに雇われた者たちにも、最初に雇われた者たちと同じ一デナリを与えました(8~10節)

 ぶどう園の主人は、5時ごろまでだれにも雇われないでいた者たちを雇って(6~7)、1時間しか働いていないにもかかわらず、1日分の賃金を与えました。5時ごろに雇われた者たちにとってその1デナリは、自分たちの働き以上に与えられた恵みです。彼らはその恵みに、感謝したことでしょう。このぶどう園の主人ように、神は恵み豊かな方です。

 一方、早朝から働いた者たちは、1時間しか働いていない者たちと、1日の労苦を辛抱した自分たちとを同じように扱ったと言って、主人に不満をもらしました(11~12節)。彼らにとって1デナリは、恵みではなく、自分たちの働きにそぐわない不当な報酬に思えたのです。

 ぶどう園で早朝から働いた者たちのように、パウロは、ほかのすべての使徒たちよりも多く働きましたが、働いたのは自分ではなく、神の恵みだと言っています。彼は、自分のことを、使徒の中では最も小さい者、使徒と呼ばれるに値しない者と言っています。なぜなら、パウロはかつて、教会を迫害していたからです。そのような人が、神の恵みによって、キリストを宣べ伝える使徒へと造り変えられたのです。5時ごろに雇われた労働者が身に余る恵みを受けたように、パウロは神の豊かな恵みに生かされていたのです(コリント人への手紙第一15章9~10節)

キリストは、私たちが罪赦されて、神との親しい交わりを得て救われるために、十字架の上でその罪を負ってくださいました。神の御子の尊いいのちがささげられている十字架の恵みに見合うだけ働くことのできる人など、どこにもいません。私たちはみな、受けるに値しない罪人として大きな恵みにあずかっているのです。

 その神の恵みのもとにいることを忘れ、自分の労苦に目を向けていると、不当に扱われているように感じ、不満をもらしやすくなるのです。私たちが今日あるのは、神の恵みによるのです。そして、これからも、神の恵みによってさまざまな働きが成し遂げられます。人間の働きや功績によらない、神の恵みに生かされるようにと、神は招いておられます。神の恵みのもとにいることを忘れずに、その恵みに拠り頼んで、歩んでまいりましょう。