2021年8月8日 メッセージ要旨
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                     天からのしるしである十字架

                                        マタイの福音書 16章1~12節 
                                                                                                                                   
     
 悪い、姦淫の時代はしるしを求めます。しかし、ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。」こうしてイエスは彼らを残して去って行かれた。
                                  マタイの福音書 16章4節 
 
 
 ユダヤ教の一派であるパリサイ人が律法の厳格な実行を重んじる律法主義なのに対し、サドカイ人は貴族や裕福な者たちの間に多い世俗主義で、両者は相反し、対立関係にありましたが、イエス様を試して陥れようと結託し、イエス様が救い主メシアであることを証明する天からのしるしを求めます(1節)

 それに対してイエス様は、空模様を見分けることを知っていながら、イエス様の働きにおいて神が訪れている時のしるしを見分けることができないのかと嘆かれ(3節)、「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません」と答えておられます(4節)。大きな魚に呑み込まれた預言者ヨナが、三日目に魚の腹の中から地上に出されたように、イエス様は十字架に死んで葬られ、三日目によみがえられます。それこそ、イエス様が救い主メシアであることを証明する天からのしるしなのです。

 悲惨な出来事が起こり、苦悩の絶えないこの世界のどこに神の存在を示すしるしがあるのかと、不審に思う人もいるかもしれません。

 けれども、罪に汚れた世界と人々を救うため、御子キリストを与えてくださった愛の神の存在が、十字架に示されているのです。人々の罪を負って十字架に死なれ、よみがえられたキリストによって、信じる人は罪赦され、神と親しく交わる永遠のいのちを持ちます(ヨハネの福音書3:章16節)

 パンを持って来なかったことで議論を始めた弟子たちに対し(7節)、イエス様は彼らの信仰の薄さを指摘し(8節)、五千人の給食と四千人の給食の奇跡を弟子たちに思い起こさせます(9~10節)。そのイエス様のパンの奇跡をよく覚えていて、そこから学んでいれば、弟子たちは日々の糧を与えられる神への信仰に欠けることはなかったのです。

 イエス様は、二度も「パリサイ人たちとサドカイ人たちのパン種に用心しなさい」と言っておられます(6章11節)。相反する両者に共通しているのは、しるしを求める懐疑主義です。彼らは、イエス様の宣教の中に神が存在し、働いておられるのを、頑なに疑って信じようとはしませんでした。

 イスラエルの民は、荒野で、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主を試みたとあります(エジブト記17章7節)

 私たちにも、神の働きを見出すことが難しい時があります。そのような時、これまで受けて来た神の恵みを思い起こして、信仰を働かせましょう。愛なる神の存在が、この十字架に示されているのです。