2021年8月22日 メッセージ要旨
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                                                             メッセージ 丸山豊牧師       
                     永遠のいのちとは

                                        ヨハネの福音書 17章1~5節 
                                                                                                                                    
     
 永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。
                                             ヨハネの福音書 17章3節 
 
 永遠のいのちについて主イエスは、「…来たるべき世で永遠のいのちを受けます。」と言われました(マルコの福音書10章30節)。そして、【神の栄光を現わす時】(十字架の死)を目前にして、「永遠のいのちとは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることです。」とも祈られました。

 このようにして主イエスは、十字架の死を通してのみ与えられる【すべての人を支配する権威】によって、私たちに永遠のいのちの賜物を与えて下さいました。

 いのちのことば社新聖書註解⑴によりますと、【イエスのことばとわざのすべては、人々が高次の生活を享受できるようにという、心からの願いに基づいていた。その高次の生活を人々が完全に享受できるのは、彼らの罪が赦され、神との全き和解が得られる時である。その和解を可能にする、全き罪のいけにえとして、イエスがご自身を「ただ一度だけ」ささげられる時、永遠のいのちの賜物が、すべて信じる者に与えられるようになる。その時、イエスの生涯の目的は完全に果たされる。】とありました。

 ですから、神の国が私たちのただ中にあるように(ルカの福音書17章21節)、来たるべき世を待たずして、永遠のいのちの賜物が、私たちのただ中に与えられているのです。「わたしを見た人は、父を見たのです。」(ヨハネ14:9)「わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネ14:6)と語られた主イエスのおことばから、イエス・キリストを知ることが、唯一まことの神を知ることだと分かります。さらに<知ること>と訳されたギリシャ語のギノース・コーシンは現在接続法で、絶えず増大する経験を指します。私たちはともすると、悩み苦しみの多いこの世から逃れる事を考えやすいものですが、主イエスは父に、「あなたが彼らをこの世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」(ヨハネの福音書17章15節)と祈り、私たちが福音の証人として力強く生きる事を願っておられるのです。

 私たちが滅びるのをよしとされずに、ご自分の愛するひとり子を十字架ののろいの下に置かれた神の愛と、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、罪を贖って下さったイエス・キリストを知る私たちは(ヨハネの福音書3章16節)、日々に主イエスの十字架を見上げ、その流された血潮をあがめ、みことばに養われて、十字架上に現された神の愛を、さらに、さらに深く知って、永遠のいのちの恵みに溢れさせていただきましょう(ヨハネの福音書4章13~14節)

 パウロは、十字架につけられたキリストのみを人々に宣べ伝えることによって(コリント人への手紙第一2章2節)、世界宣教に通じる偉業を成し遂げました(ローマ人への手紙15章19節)。私たちも、十字架につけられたイエス・キリストのことをさらに深く知って、多くの人に福音をあかしして参りましょう。(丸山豊牧師)