2021年7月4日 メッセージ要旨
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                     キリストにとどまって

                                          ヨハネの福音書 15章1~17節 
                                                                                                                                   
     
 わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。                                  
                                        ヨハネの福音書 15章4節 
 
 イエス様は、他の箇所で、「わたしのもとに来なさい」「わたしについて来なさい」と仰せになっていますが、その召しに、一度だけ応えればいいというのではなく、ここでは、「わたしにとどまりなさい」(4節)と、ご自分にとどまり、つながり続けるよう召しておられます。

信じて間もない頃の新鮮な喜びや感動は次第に薄れていき、単調な歩みを退屈に感じたり、また、試練に困難を覚えたりして、信仰の道には忍耐が生じます。

イエス様は、種蒔きのたとえの中で、岩地に蒔かれた種は根がないので、しばらく続くだけで、困難や迫害が起こるとつまずいてしまう人のことだと言っておられます(マタイの福音書13章20~21節)。信仰のゆえに困難が生じた時に、「わたしにとどまりなさい」という主の招きが、現実味を帯びて私たちに迫ってくるのです。

多くの実を結ぶ(5節)という約束に期待して、キリストのうちにとどまっているのに、そのような成長が見られないことがあります。しかし、失望することありません。私たちが主の枝として成長し、実を結ぶには時を必要とするのです。すべてのことには神の時があるのです。

私たちが自分の計画、自分の好みを求めて、主のもとから迷い出てしまうなら、主のいのちと御力にあずかることができず、実を結ぶことができません(4-5)。主から離れては、私たちは邪悪な罪深い古い性質のまま枯れるよりほかありません(6節)。主にとどまって、主の臨在に満たされることで、私たちは神の聖さにあずかることができるのです。

私たちの力によるのではなく、私たちを選び、任命なさった主の働きによって、私たちは豊かな実を結びます(16節)。私たちのすべきことは、私たち自身を主の御手におゆだねし、主に働いていただくことなのです。そうすることで、私たちは主のうちにとどまることになるのです。

イエス様は、私たちが罪赦されて救われるために、十字架にいのちを捨ててくださいました(13節)。ご自分のいのちを捨ててお救いくださった主が、どうして私たちに良くしてくださらないことがあるでしょうか。主の真実な愛に信頼しましょう。

「わたしにとどまりなさい」と主は仰せになっています。私たちは主を信頼し、主にとどまって、実を結ぶ者となるよう、歩んでまいりましょう。