2021年7月25日 メッセージ要旨
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                                                             メッセージ 丸山豊牧師
                     互いに赦し合いなさい

                                          マタイの福音書 18章23~35節 
                                                                                                                                   
     
 互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。                                  
                                       コロサイ人への手紙 3章3節 
 
 主イエスはこの譬え話で、天の御国の交わりの必須条件としての「赦し」について語られました。

 王の家来の一万タラントの負債は、人が六千万日働いても返せない額ですが、王は彼をあわれんで赦してやりました。ところが彼は、莫大な負債を王から赦して貰ったのに、彼の仲間の百デナリの借金は赦せませんでした。この家来のように「自分の兄弟を心から赦す」ということは非常に難しく、相当の忍耐と努力を必要とします。ペテロも相手を赦さねばならない事は心得ていましたが、どの程度まで赦すべきかが分からずに「七度まで赦すべきか」と主に問いました。彼が「七度までか」と問う心の底には「七度までは赦すが八度目は容赦できない」という思いがあったからで、主は「回数を数える赦し方をやめ、心から兄弟を赦してやりなさい」と言う意味で、「七回を七十倍するまで赦しなさい」とお答えになりました。

 主はその教えの中で、「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦されます(ルカの福音書6章37節)」と語られ、「一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回あなたのところに来て『悔い改めます』と言うなら、赦しなさい(ルカの福音書17章節)」とも語られました。そして十字架上で、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです(ルカの福音書23章34節)」と祈られました。こうして罪のない主イエス自らが、人の罪の身代わりとなって十字架にかかり、その血潮によって、私たちが一生かけても到底償い切れない罪の代価を支払ってくださいました。私たちの過去に犯した罪も、現在犯している罪も、未来に犯すであろう罪もすべて贖い、赦してくださったのです。

 キリスト者は、「天の御国のために仕えるしもべ」というつながりにおいての仲間(31節)です。天の御国の交わりは、赦す者が赦されるのが特徴です。主は、罪を犯した兄弟を断罪なさるのではなく、心から兄弟を赦せない者を断罪なさいますが、逆を言えば、心から兄弟を赦そうとする者や、一日に七回罪を犯しても、七回「悔い改めます」と主に立ち返る者を、主の流された血潮の故に、限りなく赦してくださいます。この主君の怒りをかって、獄吏に引き渡された家来も、悔い改めて、相手を赦すなら、即座に牢屋から解放されて、再び天の御国の交わりに入れて頂くことができるのでしょう。

 キリストが背負われた一万タラントの負債に比べれば、仲間の百デナリの負債は比較にならない程軽いはずです。

 私たちは主に赦された者として、相手を赦す回数を数えたり、不承不承赦すのをやめて、主の一方的なあわれみに感謝し、主の痛みの六十万分の一でも担わせて頂こうではありませんか。(丸山豊牧師)