2021年6月6日 メッセージ要旨 | ||||
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ハンナの心を癒した祈り サムエル記第一 1章1~28節 |
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ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に祈った。 サムエル記第一 1章10節 |
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ハンナの家庭には混乱がありました。「ふたりは一体となる」(創世記2章24節)という一夫一婦制の原則が破られ、ハンナの夫エルカナには、もう一人の妻ペニンナがいました(2節)。エルカナはハンナを愛しています(5節)。ペニンナは嫉妬し、ハンナが子どもに恵まれないことで彼女をひどく苛立たせます(6節)。夫のエルカナは、「ハンナ、なぜ泣いているのか。・・・どうして、あなたの心は苦しんでいるのか」(8節)などと言っています。ハンナの苦しみを理解できる人は、この家庭にはいなかったようです。
ハンナの心は痛んでいました(10節)。しかし、彼女が募る憂いをことごとく神に打ち明け、心を注ぎ出して祈ると(15~16節)、その顔は、もはや以前のようではなくなりました(18節)。ハンナの心から憂いは去り、喜びと平安をたたえる姿へと変えられたのです。彼女の心の痛みが、神との交わりの中で癒やされたのです。 ハンナが男の子を下さるよう神に祈ると(11節)、そのとおりに、彼女は身ごもって男の子を産みます(20節)。祈りは空しい独り言ではありません。何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神はその祈りを聞いてくださるのです(ヨハネの手紙第一5章14節)。 ハンナに子どもを授けないようにしておられたのは、外ならぬ神でした(5節)。もしハンナが子どもに恵まれていたとしたら、このように心を注ぎ出して主に祈ったでしょうか。苦しみがあったからこそ、ハンナは神を呼び求めたのです。そのように、私たちに苦難が与えられるのは、神を呼び求めさせるためなのです(詩篇50篇15節)。 神は、十字架の上で私たちの罪を負われた御子キリストによって、私たちの罪を赦し、ご自分との親しい交わりの中に私たちを入れてくださいました。私たちは、何か大変なことがあると熱心に祈ります。しかし、何もないと、神との交わりをおろそかにしがちなのではないでしょうか。ハンナの痛んだ心が、祈りの中で癒やされたように、私たちの心も、神との親しい交わりの中で癒やされます。神の恵みの招きに応えて、祈りとみことばによって、神との交わりを絶やさずにいることが、私たちの心を、霊性をケアすることになるのです。 |
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