2021年6月20日 メッセージ要旨
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                     神に支配される者の輝き

                                          詩篇 24篇1~10節 
                                                                                                                                   
     
    地とそこに満ちているもの世界とその中に住んでいるものそれは主のもの。
                                  
                                             詩篇 24篇1節 
 
  この詩篇は、ダビデ王がオベデ・エドムの家からエルサレムに神の箱を運び上げた時の情景を歌った詩篇であると言われています(サムエル記第二6章12~19節)。

 「神の箱」といっても、それは神の臨在を象徴するもので、神は決してそのような小さな箱の中に納まる方ではありません。神はこの世界の所有者であり(1節)、造り主です(2節)。神の箱を運び上げるからといって、人が神を所有物のように支配できるのではなく、人間の方が、万物の創造主である神のものとして支配される側にあるのです。

 すべての人が生まれながらに罪の下にあり(ローマ人への手紙3章9節)、そのままでは、だれも聖なる神の御前に立つことはできません(3節)。

 しかし、キリストが十字架の上で人々の罪を負ってくださったので、信じる人に罪赦され、罪きよめられ、聖なる神の御前に立つ者とされる道が開かれました。キリストを信じることで、心も行いもきよい人となり、たましいをむなしいものに向けず、偽らず(4節)、神を慕い求めて、神と親しく交わる人へと変えられるのです(6節)。その人は、神から祝福を受け、義とされます(5節)。

 神の臨在のしるしである神の箱をエルサレムに迎えいれるに当たって、神を「栄光の王」として迎えています(7~10節)。造り主として世界を所有し、支配しておられる神は、世界の王なのです。

 心の戸を開いて、その王である神をお迎えした心には、神の国が訪れます。心の王座に醜いエゴが居座っていては、神に満たされることはありません。王である神に心が支配されることで、愛と平和に満ちた御国が心に現れるのです。

 人間が罪人である以上、この世には、所有権に関する争いや奪い合いが絶えません。本来は、世界とその中にあるすべてのものが神のものなのですが、今のこの世は、神に所有権があることを認めない罪の世なのです。
 しかい、キリストが再びこの世に来たれると、この罪の世は全く新しくされ、神の愛と平和に完全支配された御国が完成します。その時には、地とそこに満ちているもの、世界とその中に住んでいるものが、神のものとしてふさわしく栄光に輝くのです。

 それまでの間、心に神の国を持つキリストが者である私たちが、御国の輝きで世を照らすのです。その役割を果たすため、神と心を一つにしましょう。心が神に支配されることで、私たちは御国の栄光に輝くのです(歴代誌第二16章9節)。

 主を信じる私たち自身が、「すべては神のもの」と神の所有権を認め、神のものとしてふさわしく心を神に支配され、御国の輝きを放つことができるよう、歩んでまいりましょう。