2021年6月13日 メッセージ要旨
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                     世の光として輝く使命御霊

                                         ピリピ人への手紙 2章12~18節 
                                                                                                                                   
     
  いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。
                                  
                                   ピリピ人への手紙 2章16節(抜粋) 
 
 主の名で呼ばれる私たちは、神の栄光を現わすために造られ、存在しています(イザヤ書43章7節)。神の栄光を現すこと、それがキリスト者の志すべきことであり、生きる目的なのです(13節)

 この世には、多くの闇があります。陰で不正が行われ、正義はゆがめられ、横暴な者が弱い人を虐げています。光の差し込まない人の心には、悲しみや苦悩や絶望があります(15節)。その暗い世にあって、世の光として輝き、この世を神の栄光で照らすことがキリスト者の使命なのです(16節)

 「いのちのことば」とは福音のことです(16節)。十字架の上で人々の罪を負われた御子キリストを通して、神は信じるすべての人に罪赦される救いを与えてくださいました。キリストが私たちを救うために十字架にいのちを捨ててくださった、そこに神の愛が示されています。その福音こそ、キリスト者が世の光として輝く原動力なのです。私たちに困難が生じた時、喜びや輝きが薄れてしまわないように、神の愛と救いを示す福音をしっかりと握っていることが大切なのです(16節)

 神は、奴隷とされて苦しんでいたイスラエルの民をエジプトから脱出させ、お救いになりましたが、度々不平を言って神を疑った民は、荒野を40年間さまよい、滅ぼされてしまいました。約束の地カナンに達したのは、堅く信仰に立ったヨシュアとカレブ、及び次の世代の者たちでした。困難な時には不平を言ったり疑ったりしがちです。不信仰になって途中でつまずいてしまうことのないように、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなければならないのです(12節.14節)

 神の子どもとされた私たちが、純真で傷のない者となることで、曲がった邪悪な世に聖い神の存在を示すことになるのです(15節)

 「キリストの日」とは、キリストが再臨される日のことです。キリスト者の労苦は無駄になることはありません。私たちは、キリストの日に、邪悪なものが全く存在しない、神の愛と平和に完全に支配された御国にあずかることになるからです(16節)

 「注ぎのささげ物」とは、いけにえに注がれるぶどう酒のことで、パウロが注ぎのささげ物となるということは、ぶどう酒のようにパウロの血が注がれること、つまり、パウロの殉教を表しています。パウロは、たとえ自分が殉教することになったとしても喜ぶと言っています(17節)。何の労苦もない悠々自適な暮らしに喜びがあるのではありません。神の栄光のために生きる使命が果たされるところに、キリスト者の喜びがあるのです。

 世の光として輝き、暗いこの世を神の栄光で照らす使命を果たすことができるよう、歩んでまいりましょう。