2021年5月9日 メッセージ要旨
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                     御名の栄光のために悔い改めて

                                          ダニエル書 9章1~19節 
                                                                                                                                   
     
 私たちの神よ。今、あなたのしもべの祈りと願いを聞き入れ、主ご自身のために、あなたの荒れ果てた聖所に御顔の光を照り輝かせてください。私の神よ。耳を傾けて聞いてください。目を開いて私たちの荒れすさんださまと、あなたの御名がつけられている都をご覧ください。私たちが御前に伏して願いをささげるのは、私たちの正しい行いによるのではなく、あなたの大いなるあわれみによるのです。
                                  ダニエル書 9章17~18節 
 
 ダレイオスの治世の元年( BC539)(1節)に、ダニエルは、エルサレムの荒廃とバビロン捕囚が始まったユダの王エホヤキムの治世の第三年( BC605) から数えると、エレミヤによって預言されたエルサレムの荒廃の期間である70年が、あと数年で満ちることを悟り(2節)、エルサレムとイスラエルの民の回復を祈ります。

 神の名がつけられている都と民に(19節)、それにふさわしい栄光が現わされるどころか、反対に、エルサレムは荒廃し、民は異国に捕らえ移され、周囲のすべての者にとってそしりの的となっています(16節)。そのような状態に陥ったのは、イスラエルの民が神に聞き従わなかったからです(6節.9節.10節.11節.14節)

 ダニエルは、御怒りをエルサレムから去らせ(16節)、荒れ果てた聖所に、神殿に、御顔の光を照り輝かせてくださるよう祈ります(17節)

 そのように祈る上で彼が最初にしたことは悔い改めです(3節)。そして、彼は御前に民の罪を告白して神の赦しを求めます(5節.8節.15節)。神の御前に罪を告白するなら、罪赦され、すべての不義からきよめられるのです(ヨハネの手紙第一1章9節)

 ダニエルは神に忠実で敬虔な人でしたが、彼の正しさによって祈りが聞かれるというような態度ではなく、神の大いなるあわれみに拠り頼んで祈りました(18節)。イエス様のたとえ話の中で、自分は正しいと確信するパリサイ人ではなく、自分の胸をたたいて「罪人の私をあわれんでください」と祈った取税人の方が義と認められています(ルカの福音書18章9~14節)。そのように、へりくだって神のあわれみを求める人の祈りが聞かれるのです。

 ご自分の民を力強い御手をもってエジプトの地から導き出すことで高く上げられた神の名が(15節)、エルサレムの荒廃と御民の捕囚によってそしられている。このようなことは、神ご自身の御名のために放置されるべきではないとダニエルは祈ります(17節.19節)

 私たちの力で光り輝くのではありません。神が、ご自身の名のために、御名のつけられている民である私たちに御顔の光を照り輝かせてくださるのです。私たちのすべきこと、それは、神の大いなるあわれみのもとにへりくだって悔い改めることです。そうするなら、神は御顔の光を私たちに照り輝かせてくださるのです。