2021年5月23日 メッセージ要旨
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                                                             メッセージ  丸山豊牧師
                     揺らぐことのない信仰告白

                                          詩篇 16章1~11節 
                                                                                                                                   
     
   主は私への割り当て分また杯。あなたは私の受ける分を堅く保たれます
                                  
                                        詩篇 16篇5節 
 
 人間には、さまざまな割り当て、杯があります。ある人には生まれながらの特別な能力であったり、莫大な財産であったり、ある人には健康、あるいは、貧しさ、体の障害であったり、高級ワインが「杯」の人もおれば、苦い水が「杯」の人もおり、この世の価値観からすれば実に不平等と思われますが、ダビデの「割り当て、杯」は「主」でした。彼は、羊飼の頃も、荒野で飢え渇く逃亡者の頃も、ユダヤの国の王の頃も、それらの環境に人生の基盤を置くのではなく、主に置いて、自分への割り当てを自分で測ることをせず、主が自分に成そうとしておられる処遇の御手に大いに期待し、自分に定められた責任範囲を忠実に果したのです。

 「割り当て分」についてキリストは、タラントの譬えをなさいました(マタイの福音書25章1430節)。主人は3人のしもべのそれぞれの能力に応じて、5、2、1タラントを割り当てますが、5タラントと、2タラントを儲けたしもべに対して「わずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう」と言います。1タラント(6千万円位)をわずかな物とする多くの物とは何でしょう。またダビデの好む所に定められた実にすばらしい「割り当ての地」とは、何でしょう。

詩篇16篇は、メシヤの詩篇とも呼ばれており、ペテロとパウロの説教(使徒の働き2章2528節・13章35節)に引用されて、キリスト復活は、ダビデによって預言され、ダビデへの確かで真実な約束(使徒の働き13章34節・イザヤ書55章3節)であった事が分かります。

主を私への割り当て分とするダビデは、主に身を避け(1節)、主に信頼し(2節)、主にある聖徒と喜びを共有し(3節)、偶像礼拝を避け(4節)、主の割り当てに満足し(5節)、主と思いを一つにし(6節)、夜ごと主から教えられ(7節)、常に主を前にし(8節)、主が右におられるので、心は喜びと平安に満たされ(9節)、主にある敬虔な者に滅びをお見せにならないことも(10節)、いのちに至る道も主から知らされており(11節)、永遠の憩いの水際にまで導こうとなさる神の摂理に、一切をゆだね切っていたのです。ですから、ダビデに与えられたユダヤの国の王位は、わずかな割り当て分であって、彼の子孫に置かれた確かで真実な主との約束こそ、実にすばらしい割り当ての地、霊の渇きを癒し続ける「杯」だったのです。

神の祭儀を司るレビ族にとっては、主が割り当て分でした。ダビデにとっても、与えられた地上的祝福の一切にまさって主がすべてでした。私も両親から「献身者への割り当ては主ご自身なんだよ」と教えられました。「主は私への割り当て分 また杯」という信仰は、祭司、ダビデ、献身者だけのものであってはなりません。全ての人の揺るぐことのない信仰告白となるよう、願ってやみません。(丸山豊牧師)