2021年3月14日 メッセージ要旨
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                     狭い門から入りなさい

                                          マタイの福音書 7章13~27節 
                                                                                                                                   
     
 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。
                                  マタイの福音書 7章13~14節 
 
 いのちに至る門が狭く、その道が細いのは(14節)、それが、みこころを行う道だからです(21節)

例えば、「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(5章44)節というみことば一つにしても、実践するには、赦せないという自分の思いとは大きく異なるみこころに従わなければなりません。

多くの人はそのようなみこころに従う狭い門、細い道には進みたがらず、むしろ自分の利益や好みに従って歩んで行きます。その門は大きく、その道は広く、窮屈な思いをしなくて済みますが、みこころに背く自己中心なその歩みは滅びに至るのです(13節)

ですから、主イエスは、狭い門から入っていのちを得るよう招いておられるのです(1節3)

主のことばを聞いて、それを行う者は、岩の上に土台が据えられた家のように倒れませんが(24~25節)、それを行わない者は、砂の上に建てられた家のように倒れてしまいます(26~27節)。二つの家の明暗を分けたのは、目に見えない土台です。見た目がどんなに立派でも、岩の上に据えられた堅固な土台がなければ倒れてしまうのです。主のことばに聞き従うことで、そのような堅固な基礎を持つ人となるのです。

目に見えないところこそ重要です。偽預言者たちのように、見た目は羊の(なり)をしていても、内側が貪欲な利己主義では(15節)、いのちに至る細い道を歩んでいるとは言えません。

主の名によって目立った活躍をしたとしても(22節)、それで本当の弟子であることの証明にはなりません。「わたしはおまえたちを全く知らない」(23節)と退けられているのは、主との人格的な関係を持っていなかったことのあらわれです。主との深い関係は、主に従い、みこころを行うことで築かれるものなのです。

いのちに至る道を歩んでいるかどうかは、実によって見分けることができます(16~20節)。「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」(ガラテヤ人への手紙5章:22~23節)。そのような良い実を結ぶ良い木となるよう、主のことばに聞き従ってまいりましょう。

いのちに至る道を私たちに開くために、主は十字架の御苦しみをお受けになりました。主ご自身が狭い門から入られ、その細い道を行かれたのです。いのちに至る門は狭く、その道は細く、苦難がありますが、私たちも主の御足の跡に従って狭い門から入り、みこころを行っていのちに至る細い道を歩んでまいりましょう。