2021年2月14日 メッセージ要旨
メッセージ      Home
                                                              
                     神を礼拝する新しい神殿

                                          ヨハネの福音書 2章13~25節
                                                                                                                                   
     
     あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい。
                                  
                                     マタイの福音書 1章10節 (抜粋)
 
 イエス様が神の言葉を伝えていた今から約2000年前、神殿でささげ物をするには、牛や羊やハトのキズのない検査済物を宮の売店で買うのが通例でしたが、売主はそれらの動物を法外に高い値段で売って不当な利益を得ていました(14~16節)。神をあがめるためにある神殿で、人間の私利私欲が追い求められていたのです。

 イエス様の死と復活は、神殿礼拝の崩壊と霊的な礼拝の再建に結びついています。形骸化した神殿礼拝を破棄し、神と人とが出会う新しい神殿を築くため、イエス様は十字架に死なれ、よみがえられたのです(19節,21節)。その新しい神殿とは、キリストを信じる私たち自身です(コリント人への手紙第一3章16節)。

 多くの人々がイエス様を信じたと言っても、それは、イエス様が行われた奇蹟を見たからにすぎず、不利益が生じると離れて行く人々であることをイエス様は見抜いておられました(23~24節)。

 人々は神をあがめるのではなく、自分の利益をあがめていたのです。人々の心には、神ではなく、自分が居座っていました(25節)。神の宮である私たちの心は、神をあがめているでしょうか。それとも、自分を追い求めているでしょうか。

 神との隔たりのない親密な交わりがあったエデンの園には、中央に善悪の知識の木がありました(創世記2章9節)。それは、神を中心にし、神の規準に従って生きることで、喜びといのちに満ちた幸いに生きることができることを表していたのです。

 私たちは、キリストによって、神との平和を持っています(ローマ人への手紙5章1節)。キリストの十字架と復活によって、その恵みはもたらされました。神との密接な交わりの中に生きること以上に満ち足りた幸いは、ほかにありません。神を中心とし、あがめることで、その恵みを十分に味わうことができるのです。

神である主を礼拝し、主にのみ仕えて(マタイの福音書41章10節)、神との親密な交わりの中に生きる満ち足りた幸いに歩んでまいりましょう。