2021年11月28日 メッセージ要旨
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                      神が喜ばれる信仰

                                            ヨシュア記 2章1~24節 
                                                                                                                                    
     
 信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。
                                 
                                       へブル人への手紙 11章6節
 
 イスラエルの指導者ヨシュアは、シティムからヨルダン川を渡って神の約束の地カナンに入るため、偵察の二人をエリコの町に遣わしました。

40年前、モーセがカナンの地を探らせた時には、イスラエルの全会衆は不信仰に陥って、40年もの間、荒野をさまようことになってしまいました(民数記13~14)

今回、二人の偵察報告によって勝利を確信したイスラエルは、主のみことばに忠実に従って、契約の箱を担ぎ、角笛をふきならしながらエリコの城壁を一周し、同じことを六日間繰り返して、7日目には城壁の回りを7回周って、ときの声をあげると城壁は崩され、難なくエリコに攻め入って、町を占領することができました(6章)

このイスラエルに勝利をもたらした全会衆の信仰は(へブル人への手紙11章30節)、カナン人ラハブの信仰告白によって与えられたものです(8~11節)

ラハブは、救いを得る唯一の方法として、イスラエルの神、主にすがり、羊の血が、鴨居と二本の門柱に塗られたイスラエルの家は滅びを免れたように、偵察の二人と交わした約束の赤いひもを家の窓にかざして救われました。しかし、敵国の偵察の二人をかくまって彼女がついた嘘は、人の倫理に反する行為ではなかったのでしょうか。いのちのことば社新聖書註解には、<倫理は、相対化してもならず、偶像視して絶対化してもならない。それはただ神の側に立ってのみ、「しかり」か「否」の答えが与えられる>とありました。

主はラハブの信仰を喜ばれました。そして、彼女と彼女の一族、さらに彼女に連なる全ての者を救って、神の民に加えて下さいました。

彼女の名前は、イエス・キリストの系図や(マタイの福音書1章)、へブル人への手紙11章の信仰者列伝に記されており(ヘブへブル人への手紙11章31節)、ヤコブの手紙2章25節には、彼女の信仰が行いの伴う本当の信仰であった事も記されております。

異邦人女性ラハブに与えられた信仰が、偵察の二人に、そして、ヨシュアとその全会衆に、さらに彼女の父、母、兄弟、一族全員に波及し、その信仰が、彼女の子孫ダビデへと継承され、やがて新約聖書に至る救いの系列を提供する事になります。

主は、神がおられることを信じて主を求める者を、必ず救ってくださり、その信仰を喜んで、必ず報いてくださるお方です。

私たちが八方ふさがりになった時、エリコの民のように震えおののき、心がなえて、気力を失い、滅び去ってしまってはなりません。イエス・キリストを救い主と信じ、その血によって贖われた者は、永遠の滅びを免れることができます。ですから、ラハブのように、主の助けを仰いで信仰の赤いひもを高くかざして、その約束のゆえに永遠の滅びを免れ、自分だけではなく、親族や子々孫々へとその信仰を継承させて頂こうではありませんか。(丸山豊牧師)