2021年11月21日 メッセージ要旨
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                      主の臨在のもとに立ち返って

                                            詩篇 51篇1~19節 
                                                                                                                                    
     
 神よ私にきよい心を造り揺るがない霊を私のうちに新しくしてください。私をあなたの御前から投げ捨てずあなたの聖なる御霊を私から取り去らないでください。
                                 
                                            詩篇 51篇10~11節
 
 ダビデはウリヤの妻バデ・シェバと姦淫を犯して身ごもらせ、その上ウリヤを激戦地へ送って戦死させてしまいます。その罪を預言者ナタンに指摘されて悔い改めたダビデの祈りが、この詩篇であると言われています(表題、サムエル記第二11~12)

 ダビデが、「御前から投げ捨てず 御霊を取り去らないでください」(11節)と祈った要因の一つとして、神に退けられ、御霊を失ったサウルと同じ末路を辿ることへの恐れがあったと考えられます。

 サウルが王として油注がれた日、神の霊が彼の上に激しく下りましたが(サムエル記第一10)、彼は御霊に導かれるのではなく、自分の考えで事を進めてしまいます(サムエル記第一13、15)

 神は御声を退けるサウルを王位から退け、彼から御霊を取り去ってしまわれます(サムエル記第一16章14節)。サウルはわざわいの霊におびえ、自分の王位を脅かすダビデのいのちを執拗に狙います。彼は内実の伴わない王位にいつまでも執着し続けたのです。

 すべての人が罪ある者としてこの世に生まれてきます(5節)。ダビデもサウルも罪人であることには変わりありません。しかし、ダビデはサウルとは違って、悔い改めて神のあわれみと恵みのもとに立ち返ります(1節)

そして、そのように悔い改めて神に立ち返る人には、神のあわれみと恵みが用意されているのです。神は、十字架の上で人々の罪を負われたキリストによって、信じる人々の罪を赦し、ご自分とのいのちの交わりを回復してくださるのです。そして、その交わりの中で、神は人にきよい心を造り、その人を新しくしてくださいます(10節)

御霊を失ったサウルこそ、「御前から投げ捨てず、御霊を取り去らないでください」(11節)と祈らなければなりませんでしたが、サウルの頭の中にあったのは、自分の王位を保つことで、彼が立ち返って神との親しい関係を取り戻すことはありませんでした。

一方、ダビデは、「御霊を取り去らないでください」(11節)と祈り、神に立ち返ります。彼にとって神の親しい臨在を失うことは耐え難いことであり、神との交わりは何にも代え難い大切なものだったのです。

私たちも神から逸れて罪を犯しやすい存在です。ですから、自分自身によく気をつけて、絶えず神に立ち返るようにしましょう。そうすれば、私たちは御霊の親しい臨在の中できよい心が造られ、新しくされるのです。