2021年11月14日 メッセージ要旨
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                                                                召天者合同記念礼拝
    
                    福音の輝きを引き立たせる土の器

                                            ヨハネの福音書 6章5~13節 
                                                                                                                                    
     
 私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。
                                  コリント人への手紙第二 4章7節 
 
 男だけで五千人もいる群衆に食べさせるには、五つのパンと二匹の魚では足りません。「それが何になるでしょう」(9節)と言われてもしかたがありません。

その五つのパンと二匹の魚が、イエス様の手のうちで用いられると、五千人の男たちが十分に食べて満ち足り(12節)、余ったパン切れで、十二のかごがいっぱいになりました(13節)。そこに測り知れない神の力が働いたのです。

主張の強い器に盛り付けてしまうと、せっかくの料理も引き立たせることができません。中に入れる物を引き立たせるのが器の役割なのです。金の器に宝石が盛られていたら、金の器と宝石のどちらが主役なのか分からなくなってしまいます。何の変哲もない普通の土の器だからこそ、宝のすばらしさを引き立たせるのです。

 今日は召天者合同記念礼拝で、先に天に召された方々の写真がこうして並べられています。この方々はキリストの福音という宝をうちに抱いてこの世を歩まれました。この世で偉大とされる人々と比べると、土の器のように目立たない方々、五つのパンと二匹の魚のように小さな存在です。しかし、それだからこそ、彼ら自身から出たものではない神の力と福音の輝きを、はっきりと世に示すことができたのです(コリント人への手紙第二4章:7節)

 そして、キリストの福音をうちに抱くそのような歩みこそ、重い永遠の栄光をもたらすのです。

永遠のいのちとは、神と御子キリストを知ることです(ヨハネの福音書17章3節)。神のことをよく知るには、神と深く交わらなければなりません。神と親しく交わる関係にあることが、永遠のいのちを持つことなのです。

この世を去るとき、富も、地位も、名誉も、何一つ持って行くことはできず、みなこの世に置いていかなければなりません(詩篇49篇17節)。神との親しい関係の中にある永遠のいのちだけが、唯一天に持って行くことのできるものなのです。神との親しい関係だけは、永遠に続くのです。

神は私たちを愛し、私たちが永遠のいのちを持つために御子キリストを与えてくださいました(ヨハネの福音書3章16節)。十字架の上で人々の罪を負ってくださったキリストによって、信じる人の罪を赦し、ご自分との親しい関係を得させる救いの道を開いてくださったのです。

キリストの福音という宝をうちに抱く土の器として、その輝きを映し出す生涯を全うしてまいりましょう。