2021年10月31日 メッセージ要旨
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                        畑に隠された宝

                                            マタイの福音書 24章1~2節 
                                                                                                                                    
     
    天の御国は畑に隠された宝のようなものです。
                                  マタイの福音書 13章44節(抜粋) 
 
 大理石や金箔を用いた荘厳な神殿に目を奪われた弟子たちは、イエス様に向かってその宮を指し示します(1節)。
 この宮は、長さ13m、高さ4m、幅6mの巨大な石の角柱によって支えられ、中には20mもある石もあったと言われています。ヘロデの神殿は巨大で、堅固で、永久に立っているように見えたでしょう。

 しかし、この世のものは、どんなに壮大であってもやがて崩れ去るものです。イエス様のこばは文字どおり成就し、紀元70年にローマ軍によってこの神殿は破壊されてしまいます(2節)。
 
 それに対して、イエス様の御国は、永遠に崩れ去ることはありません。弟子たちが指し示し、仰ぎ見るべきものは、目の前の宮よりもはるかに
偉大で素晴らしい神の国なのです。けれども、弟子たちの目は肉眼に映る壮大な宮に奪われていて、御国の素晴らしさはその陰に隠れてしまっています。

 天の御国は畑に隠された宝のようなものです(13章44節)。土の中に隠された宝は人目につかず、気づかれません。御国の価値は、畑に隠された宝のように目立たず、人の目にわかりづらいのです。

 畑は宮殿と違って地味な場所です。人は目立った働きに目を向けがちですが、畑のような地味で人目につかない信仰生活の中に、御国の宝は隠されているのです。

 イエス様の救い主としてのすばらしさも、人の見にわかりづらいものです。弟子たちもずっと側にいながら、イエス様が救い主としてしょうとしておられることを、本当の意味では理解していませんでした。

 スーパーマンのような救い主なら、理解しやすいいでしょう。しかし。十字架につかれる救い主というのは、主を知らない人にとっては、惨めで受け入れ難いものなのではないでしょうか。

 しかし、人々を救うため、十字架の上でその罪を負ってくださった、いのちを捨ててお救い下さった愛を知る人にとっては、喜びのあまり、持っている物すべてを売り払っても手に入れるほどの価値を、そこに見出すのです。
 人の見は大きなもの、華やかなものに向きやすいものです。しかし、天の御国は、畑に隠された宝のように目立たないものです。他の何ものでもなく、主とその御国を仰ぎ見て、歩んでまいりましょう。