2021年10月3日 メッセージ要旨
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                        神を仰ぎ見る心のきよい人

                                       マタイの福音書 23章25~28節 
                                                                                                                                    
     
   心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るからです。
                                      マタイの福音書 5章8節 
 
「白く塗った墓」のように、外側が白く塗られて美しく見えても、内側があらゆる汚れでいっぱいでは、偽善でしかありません(27節)。むしろ、内側を、心をきよくすれば、そのきよさは自然と行動となって表に映し出されるのです(26節)

 イエス様は、うわべは正しそうに見えても、心が汚れている偽善をわざわいだと言っておられます(27~28節)。一方、58節では、「心のきよい者は幸いです」と言っておられます。

 良い仕事に就き、良い生活をする。そのような幸せは、自分の外側にあるものです。しかし、本当の幸せを得る鍵は心にあります。心のきよい人たちは神を見るのです(5章8節)

 神を見ると言っても、肉眼で見えるわけではありません。神は、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方です(テモテの手紙第一6章16節)。けれども、神を仰ぐ人の心の目には、神の存在とみわざが見えるのです。心の目で見るのですから、心のきよい者とされなければ、はっきりと神を見ることはできません。

 人を心のきよい者としてくださる方はキリストです。十字架の上で罪を負ってくださったキリストによって、信じる者は、罪赦され、罪きよめられて、神との親しい交わりを得、心の目で神を仰ぎ見る者とされるのです。神との交わりが絶たれ、罪の中に死んでいた墓のようなたましいも、十字架によって罪きよめられ、神を仰ぎ見る者へと変えられるのです。

 キリストを信じた私たちは、その恵みを受けました。ですから、その恵みにしっかり留まり続けなければなりません。きれいなように見えても、掃除をしてみると、目に見えないほこりなどで廊下や部屋が汚れていたのがわかります。罪ある者として生まれた私たちも、神のもとからさまよいやすく、放っておくと心が汚れてしまうのです。ですから、心が神のもとから逸れていないか、自分の心の状態に気を配り、神との交わりを絶やさず、常に聖霊に満たしていただく必要があるのです。

 私たちは、神を仰ぎ見る心のきよい者として歩んでまいりましょう。