2021年10月24日 メッセージ要旨
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                                                             メッセージ  丸山豊牧師     
                        割り込まれた神

                                            創世記 38章1~30節 
                                                                                                                                    
     
 では、どうですか。彼らのうちに不真実な者がいたなら、その不真実は神の真実を無にするのでしょうか。決してそんなことはありません。たとえすべての人が偽り者であるとしても、神は真実な方であるとすべきです。
                                  ローマ人への手紙 3章3~4節(抜粋) 
 
 創世記38章は、37章から始まるヨセフ物語に割り込んでおり、「そのころのことであった」とありますように、イスラエルの全部族がエジプトの首相ヨセフの元に下るまでの間に、ユダの系列に起こされた出来事です。 ヨセフがエジプトに売られた頃、ユダもまた兄弟たちを離れてカナン人の地に行き、カナン人の娘をめとってエル、オナン、シェラを儲けました。
 長男エルも、カナンの娘タマルを妻として迎えますが、エルが子を儲けずに死んだため、レビラート婚の習慣に従って、弟のオナンが兄嫁タマルによって、兄の子を得る義務が生じました。ところがオナンは、意図的に後継ぎができないようにしたため、主てを怒らせて死んでしまいます。
 二人の息子を失ったユダは、このことがユダの家の内部での罪の積み重ねによる主の裁きであることを知ってか知らずか、シェラが成人するまでと言ってタマルを実家に帰してしまいます。

 妻が死んでシェラが成人しても、約束を果たさないユダの本心を知ったタマルは、ユダのために契約の民の子孫を残そうと、遊女を装って彼を欺き、その一度の行為によって双子を宿し、先に生まれようとするゼラフにべレツが割込んで、長子の権利を得ます。
 このべレツの子孫サルモンが、カナン人の遊女ラハブと結婚してボアズを生み、ボアズがモアブ人ルツと結婚してオべデを生み、エサイ、ダビデとつながって、ダビデがウリヤの妻バテ・シェバによってソロモンを生み、新約時代のイエス・キリストへと繋がって行きます。

 このような経緯がイエス・キリストの系図にあることを知ってつまずく人もあるでしょうが、人間の弱さ愚かさをありのままに記すのが聖書であって、その意味においても、聖書は真実な書と言えます。

 クリスチャン人口が未だに1%に満たない日本では、カナン人との同化によって信仰継承を危うくしたユダ以上に、信仰継承の難しさを
覚えます。しかし、ユダの妻の名が、聖書のどこにも見当たらないのとは対照的に、ユダの人生に神が割込まれたことによって、ユダ、タマル、べレツの名がキリストの系図にまで見られるようになったのです。

 これらのことを福音の光に照らして見るならば、どのような罪人や未信者であっても、イエス・キリストを信じる者は、決して救いの例外とはならないことがわかります。

 人間の歴史を導かれる神は、創世記の時代から、イエス・キリストの十字架による罪の贖いの準備をなさって、救いの道を切り開いてくださいました。そして、救われた私たちが神の国の民としてふさわしく成長できるよう、私たちの日常にも割込んで、正しい道に引き戻して、神の救いの働きのために尊く用いて下さるのです。