2020年9月27日 メッセージ要旨
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                                                              メッセージ: 丸山豊牧師
                     キリストの名によって歩く

                                            使徒の働き 3章1~10節
                                                                                                                                   
     
 金銀は私にはない。しかし、私にあるものをあげよう。ナザレのイエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。
                                          使徒の働き 3章6節(抜粋)
 
  私たちは祈る時、イエス・キリストの御名によって祈ります。では、イエス・キリストの御名によって歩いているでしょうか。

 ペテロとヨハネが神殿で三時の祈りをする為(キリストの名によって)美しの門を通ると、生まれつき足の利かない人が施しを求めて来ました。 ペテロが「…キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい」と言って右手を取って立たせると、彼は踊りあがって歩き、神を賛美し、宮に入って神に感謝を捧げました。

 なんと、彼が歩けるようになってまず求めたのは、明日の心配ではなく、神の国と義でした(マタイの福音書6章3334節)

  ペテロは、彼が神を賛美し踊るのを見て驚く人々に対して、イエスの名とイエスの名を信じる信仰が、この人を完全なからだにしたのだ(16節)と福音を語り、悔い改めて神に立ち返るよう人々に奨めました。

 キリストは、神が人の性質をとってこの地上に来られ、私たちが受けるであろう全ての試みを受けて十字架にかかり、キリストの名による救いの道を明らかに示して下さいました。ですから、キリストの名によって歩むとは、キリストの教えに人生の価値の基準を置いて日々生活をすることで、私たちはキリストと違って生まれながらに不完全で、罪を犯すことはあるが、悔い改めてキリストの贖いを示すことができます。失敗をしても謙虚になって反省することで、真の力の源泉を示すことができます。病床にあっても、魂の喜びと平安を人々に表すことができます。

 このような神の豊かな恵みが注がれておりながら、私たちが人に頼ったり、金銭にばかり依り頼んでいて、キリストの名によって歩こうとしないとするなら、神の恵みは無駄になってしまって、も・っ・た・い・な・い。

 主は「…人の子が来るとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」と嘆いておられるが、主の名によって歩くクリスチャンが絶滅危惧種のようになってしまったら、愛の神はどんなに嘆かれるでしょう。

 真理、いのち、父なる神に通じるこれほど確かな人生の道は他にはなく、信仰の先達は皆、キリストの名によって歩くことの素晴らしさを、旗幟鮮明に人々に示して、神の栄光をあらわしました。

 私たちも、この生まれつき足の利かなかった人や信仰の先達者に倣って、キリストの名によって歩くことの素晴らしさを、旗色鮮やかに世に証しして、神の栄光をあらわして参りましょう。(丸山豊牧師)