2020年9月13日 メッセージ要旨
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                     心の目で仰ぎ見る望み

                                            エペソ人への手紙 1章15~23節
                                                                                                                                   
     
 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか、聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか、
 また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
                                          エペソ人への手紙 1章18~19節
 
  エペソ人への手紙が書かれたのは、著者パウロがローマで囚人となっていた時と言われています。この地上の目に見える境遇がすべてなのだとしたら、福音宣教のために囚人となったパウロは哀れな存在です(コリント人への手紙第一15章19節)

 しかし、どんなに苦難があふれていようとも、キリスト者には「神の召しにより与えられる望み」があります。それは、「心の目がはっきり見えるようになって」知り得る望みです。その望みとは、「聖徒たちが受け継ぐもの」、すなわち神の国です(18節)。この世のものはやがて朽ち果てますが、聖徒たちが受け継ぐ御国の栄光は、朽ちることなく永遠に輝き続けます。

 エリシャがアラムの大軍に包囲された時、あわてふためく彼の召使いの目が開かれると、その大軍よりもはるかに強い神の軍団が、火の馬と戦車が、エリシャを取り巻いているのが見えました(列王記第二6章15~17節)。そのように、心の目が開かれることで、神の大能の力が信じる者に働いているのを知ることができるのです(19節)

神はその大能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせました。そこに、死の力をも打ち破る神の力が現されています(20節)

 神がキリストをご自分の右の座に着かせたということは、天と地を治める支配権をキリストにお与えになったということです(20節)。ですから、キリストは、すべての名の上に置かれ(21節)、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせます(22節)。心の目で仰ぎ見るなら、私たちが恐れを抱くものの上にキリストがおられることがわかるのです。

 すべてのものの上に立つかしらであるキリストが、教会に与えられています(22節)。現状がどんなに乏しく見えても、心の目で仰ぎ見るなら、教会はすべてのものをすべてのもので満たすキリストが満ちておられるところなのです(23節)

 心の目を開いてくださるのは御霊です(17節)。上からの光によって、心の目がはっきりと見えるようになるのです。

 パウロは、エペソの教会の人々の信仰と愛について聞いていましたが、そこに希望が欠けています(15節.コリント人への手紙第一13章13節)。どんなに苦難があふれていようとも、キリスト者には心の目にはっきりと見える希望がある。そのことを覚えて歩んでまいりましょう。