2020年8月2日 メッセージ要旨
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                     御国の完成を願って

                                            ネヘミヤ記 1章1~11節
                                                                                                                                   
     
     御国が来ますように。
                        
                                   マタイの福音書 6章10節(抜粋)
 
 今の世はいつまでも続くことはなく、万物が新しくされる終わりの日に、跡形もなく消え去ります(マルコの福音書13章31節)。イエス様を信じる者は永遠のいのちを授かり、新しい天地にあずかりますが、信じないで不義に従う者は神の御怒りを受け、火の燃えるゲヘナで苦しむことになります(マタイの福音書18章9節)

 世の人はそのことを知らずに歩み、コロナ渦や水害などに危機感を覚えながらも、「神に立ち返ろう」と叫ばれることはありません。ちょうど、目の見えない人が崖があるのを知らずに歩いて行くように、刻一刻と終わりの日に近づいているのを知らずに世の人は歩んでいるのです。

 ネヘミヤは、バビロン捕囚を生き残った者たちが、祖国ユダで大きな困難と恥辱の中にあり、エルサレムの城壁は崩されたままになっていることを知ります(3節)。エルサレムの城壁を修復するネヘミヤの働きは、祖国の民の悲惨な状況を知ることから始まりました。やがて終わりの日が来るのを知らずに平穏に暮らしている世の人の状態が悲惨であることを、私たちは十分に知っているでしょうか。

 エルサレムの惨状を知ったネヘミヤは嘆き悲しみ(4節)、イスラエルの子らのために、昼も夜も祈り(6節)、神の約束を根拠に、エルサレムの復興と民の回復を求めます(9節)。ネヘミヤは、王の献酌官という高い地位にあり(11節)、何の不足もない身分でしたが、一人王宮に安穏としていることができず、心はエルサレムの復興と民の回復にあったのです。

 ネヘミヤがエルサレムの惨状を嘆き悲しんだように、私たちは神に立ち返ろうとしない罪の世を嘆き悲しんでいるでしょうか。世の人が救われて御国の民とされることを私たちは祈るべきなのです。

 ネヘミヤは、自分の願いを祈る前に、イスラエルの罪を悔い改める祈りをしています(6~7節)。私たちも、「ああしてください、こうしてください」と祈る前に、罪が示されたら悔い改めることです。そうすれば罪の仕切りは取り除かれ、祈りが神のもとに届くようになります(イザヤ書59章1~2節)

 イスラエルの民が、エジプトから贖い出されたように(10節)、私たちもこの世から贖い出されて、神の民とされました。十字架の上で流されたキリストの血は、私たちのためだけでなく、多くの人が罪赦され、贖われるために流されました。世の人がこの愛を知って神に立ち返るよう祈ってまいりましょう。そして、「御国が来ますように」(マタイの福音書6章10節)と、この罪の世が一新されて神の国が完成するよう祈ってまいりましょう。