2020年8月16日 メッセージ要旨
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                     神の恵みの御手があるのだから

                                            ネヘミヤ記 2章1~20節
                                                                                                                                   
     
  わが神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくださった。
                        
                                   ネヘミヤ記 2章8節(抜粋)
 
 王の酒の毒見をする献酌官の様子がおかしければ、陰謀の疑いを抱かせ、また、王の身近にいる者が個人的な感情で不快を与えるのは、無礼と受け取られます。ですから、王の献酌官であったネヘミヤは、それまで、王の前で沈んだ様子を見せないようにしてきたのです(1節)

 しかし、ネヘミヤの悲しみは、もはや王に隠すことができなくなりました。沈んだ様子を見抜いた王に問いかけられると、ネヘミヤは非常に恐れます(2節)。なぜなら、彼の悲しんでいるエルサレムの荒廃は、王の出したエルサレム再建中断の勅令に原因があったからです(エズラ記4章7~23節)。ネヘミヤが心のうちを明かせば、王の政策に逆らう者と受け取られるかもしれません。

 けれども、問いに答えなければ、彼の願いを王に知ってもらう良い機会を逃してしまいます。ネヘミヤは心のうちを王に明かします(3節)

 すると、王は彼に好意を示し、「何を望んでいるのか」と問い返します(4節)。神はネヘミヤの祈りに答えて、王の前であわれみを受けさせてくださったのです(1章11節)

 ネヘミヤは王に望みを告げる前にも神に祈っています(4節)。彼がエルサレムの再建を王に願い求めると(5節)、王はそれを良しとし(6節)、さらに、ネヘミヤの求めに応じて、王の通行許可証と(7節)、建築資材供給のための手紙も与えます。そこに、神の恵みの御手があったからです(8節)

 ネヘミヤは、王の護衛の軍隊が同伴したことも相まって、総督たちに王の信任状を渡しに来たと強く印象づけることができました(9節)。敵対者らは、王の許可のもとにイスラエル人の益を求めることのできる者がやって来たことで、これまでのように公然と妨害をしてユダを支配下に置くことが難しくなったのです(10節)

 ネヘミヤはエルサレムに着くと、敵対者らに悟られることのないように、夜に城壁を調査します(12~15節)。そして、計画を実行する準備が整うまでだれにも明らかにしませんでした(16)。彼は、思慮深く、慎重にことを進めて行きます。

調査の結果、城壁の崩れはひどく(13節)、通れる場所がないほど瓦礫が散乱していました(14節)。しかし、人の目にどんなに困難に見えても、ネヘミヤは城壁を再建するよう神が示しておられると確信していたのです(12節)

ネヘミヤは計画を公に提案し(17節)、この計画には、神の御手があり、王の許可と援助があると告げます。そのことを聞いた民は、再建に取りかかります(18節)

 敵対者らは嘲り、蔑みましたが(19節)、ネヘミヤは、「天の神ご自身が私たちを成功させてくださる」とことばを返します(20節)。そして、そのとおり、多くの困難や妨害を乗り越えて、エルサレムの城壁は完成したのです(6章15節)。そこに、神の恵みの御手があったからです。

 困難に直面すると、それに目を奪われてしまいやすいものですが、いかなるときも、神の恵みの御手は私たちの上にあるのです。そのことを信じて歩んでまいりましょう。