2020年7月5日 メッセージ要旨
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                     実を結ばせる主に求めて

                                            ヨハネの福音書 21章1~14節
                                                                                                                                   
     
 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。                         
                                   ヨハネの福音書 15章7節
 
 復活なさったイエス様は、前もって仰せになったとおりに(マタイの福音書28章10節)、ガリラヤ湖(ティベリア湖)で再び弟子たちにご自分を現されます(1節)

ガリラヤ湖は、ペテロや、ゼベダイの子たち、すなわちヤコブとヨハネが(2節)、人間をとる漁師としてイエス様の召しを受けた、原点ともいうべき場所です(マタイの福音書4章18~22節)

弟子たちは夜通し漁をしても何も捕れませんでしたが(3節)、イエス様のことばに従って舟の右側に網を打つと、おびただしい数の魚が捕れました(6節)。この経験は弟子たちに、ルカ5章で経験したよく似た出来事を思い出させたに違いありません(ルカの福音書5章1~11節)。彼らは岸辺に立たれる方がイエス様だと気づきます(4.7節)

弟子たちが夜通し漁をしたのに何も捕れなかったのは、そこにイエス様がおられなかったからです(3節)。そのように、人間をとる漁師としての彼らの宣教の働きは、イエス様を抜きにしては、何の実も結ばないのです。「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです」(15章:5節)とイエス様が言っておられるとおりです。

弟子たちがイエス様のことばに従うことで、おびただしい数の魚が捕れたように(6節)、彼らの宣教の働きは、主に拠り頼み従うことで豊かに実を結ぶのです。

陸地に上がった弟子たちが、パンと魚でイエス様に養われたように(9節.12節.13節)、主に拠り頼み従う人は、主のいのちに養われていくのです。

イエス様抜きの漁が、何の成果もなかったように、主を仰がず、私たち自身に目を向けていては、何の良いものも生み出されません。人は乏しい存在です。満ちあふれる豊かさを持っておられる主が、人に大漁をもたらしてくださいます。主がともにおられることで私たちは豊かな実を結ぶのです(15章5節)

私たちは、多くの実を結ぶことができるよう、主に求めてまいりましょう。私たちが主のことばにとどまるなら、その願いはかなえられるのです(15章7節)