2020年7月26日 メッセージ要旨
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                     共に救われるために

                                            エペソ人への手紙 4章25~32節
                                                                                                                                   
     
 互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。
                        
                                   エペソ人への手紙 4章32節
 
 私たちキリスト者は、贖いの日に救われるという証印が聖霊によって押されておりますが、未だ証印の押されていない隣人も沢山おります。これらの隣人も共に救われる為には、私たちの言行に配慮が必要です。

 怒りを軽率に相手にぶつけたり、押し殺して恨んだりしたら、隣人との関係をそこないかねませんので怒る事も必要です。だからといって憤ったままで日が暮れるようですと、悪魔のつけ入る隙を与えることになります。この世は悪魔が支配する世界ですから、悪魔の働きによく目をとめ、その巧みな策略に翻弄されてはなりません。

 盗まない、人に分け与える、自分の手で…苦労して働く、悪いことばをいっさい口にしない、人の成長に役立つことばを語る、聞く人に恵みを与える…等、これらは十戒や、主の祈りや、黄金律(マルコの福音12章33節)にある「神を愛し、人を愛する」ための戒めで、無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどの根本にはすべて悪意がひそんでおります。ですから私たちのことばと行いが、愛によってなされるか、悪意によってなされるかで、相手を建て上げるか、相手をおとし入れるかを決定づけるのです。 

 私たちがどんなにことばと行いに配慮したとしても、なおも人に対する偏向や誤謬は避けがたいものです。だからこそお互いの弱さを思いやって、赦し合わなければなりません。そのためには聖霊の助けが必要です。

 私たちが聖霊の導きに従って語り、行動していくとき、その人の内に御霊の実である愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制が形成されますが(ガラテヤ人への手紙52223節)、聖霊の導きに従わず、なおも悪意をもって人を断罪し続けるなら、聖霊は悲しんでその人を離れ去り、贖いの日のために押された証印も無効となってしまうでしょう(マタイの福音書12章32節)   

 もし神の堪忍袋の緒が切れてしまったらどうでしょう。人類は神の聖さの前にひとたまりもなく滅ぼされてしまいます。しかし神はイエス・キリストの十字架の身代わりを通して私たちの罪を贖って救い、なおも愛と忍耐をもって真理に導き、私たちを通してすべての人が救われることを願っておられるのです。

 神がキリストにおいて私たちを赦してくださったように、私たちも互いに赦し合って、贖いの日(救いが完成する日)に、共に手を携えて救われるよう、キリスト者としてのことばと行いに配慮して、日々の信仰生活を励んで参りましょう。(丸山豊牧師)