2020年6月28日 メッセージ要旨
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                     神のものは神に

                                            ルカの福音書 20章20~26節
                                                                        丸山豊牧師
                                                                                                                                   
     
    カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。                        
                                   ルカの福音書 20章25節(抜粋)
 
 主イエスは、「カエサルのものはカエサルに返しなさい」と言われましたが、ローマ人の手紙13章1節、7節にも、神の支配は国家権力にまで及んでおり、キリスト者は、世の権力にも従って、彼らの前に立派な証を立てるよう、さらにペテロの手紙第一4章10節には、私たちの命、賜物、金銭、物質、時間等、全てはこの世で神から委託されており、神のしもべとして上手に管理運用するようすすめられています。

 ですから、国家の中に生きつつ、天に国籍を持つキリスト者は、所得税、住民税、市県民税、消費税、財産取得保有にかかる税金等、まさに、カエサルのものはカエサルに返している訳です。 

では、国や地方自治体に税金を納めるのと同じ位に、神のものは、神に返しているでしょうか? 神に返すと申しましても、量で計れるようなものではなく、まことの神を神として畏れ敬う姿勢にあり、神から受けた愛、救い、恵み、祝福、真理の教え、恩寵は、感謝、喜び、祈り、賛美、礼拝、奉仕となって、神に返されているでしょうか?

 マラキ書3章7節に、「わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る」とあり、10節には、神の恵みの招きに、信頼と心からのささげものをもって応えて行く者に、主は天の窓を開いてその必要を満たし、その豊かさが溢れ出て、隣人の必要までも満たすことが出来るという内容が約束されております。

 さらに、神のかたちが刻印され(創世記1章26~27節)、神の息が吹き込まれ、神の愛の対象として(イザヤ書43章4節)創造された人は、一人として滅びることなく(ヨハネの福音書3章16節)、神に返されねばなりません。しかし人間が神に返される為には、キリストの贖いが必要です(ローマ人への手紙3章23節)。キリストの贖いによって罪赦され、聖くされ、義と認められ、自由にされて始めて、神の御許に返ることが出来るのです。

 カエサルのものはカエサルに返すように、神のものは神に返して、この世で与えられている賜物を十分に管理運用して、主と、人とに仕え、あふれるばかりの恵みを受けて、隣人の必要までも満たすような、祝福された信仰生涯を全うして、神の許に返していただこうではありませんか。