2020年6月21日 メッセージ要旨
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                     試練によって悔い改めさせる主

                                            エレミヤ書 24章1~10節
                                                                                                                                    
     
 わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。                          
                                   ヨハネの黙示録 3章19節
 
 ユダの民が捕囚となったのは、彼らが神のことばに聞き従わず、偶像礼拝に陥って、神との契約を破ったからでした。しかし、神は、バビロンに捕らえ移された民を、良いいちじくのように、良いものであると見なそうと仰せになります(5節)。なぜなら、彼らが心のすべてをもって神に立ち返るからです(7節)

 バビロンに捕らえ移された民は、その苦しみの中で、悔い改めて、神の救いを求めたことでしょう。神が捕囚の憂き目を民に与えたのは、民を悔い改めさせ、ご自分に立ち返らせるためだったのです。

 神は、民を良いものとするために、捕囚という試練によって、民を練りきよめられるのです。神は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されます。喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われる一つ一つのことが、私たちに実を結ばせるための神の手入れなのです(へブル人への手紙12章10~11節)

心のすべてをもって神に立ち返ることで、捕囚の民は神との深い関係を結ぶ民とされます(7節)

一方、ユダに残された者は、自分たちは神の罰を免れたのだと考えたかもしれませんが、神は彼らを、悪いいちじくのように悪しきものとすると仰せになります(8~9節)。捕囚の苦しみに会わなかった彼らは、神に逆らう生き方を悔い改めようとはしなかったのです。試練から逃れてエジプトにいた者もまた、悔い改めには至らなかったのです(8節)

神は、捕囚に苦しむ民を幸せにしようと目をかけ、祖国に帰らせ、建て直してくださると約束なさいます(6節)。神が御民のために立てておられる計画は、わざわいではなく、将来と希望を与えるためのものなのです(29章11節)

ユダの民を立ち返らせるために捕囚の苦しみに会わせたように、主は、愛する者を悔い改めさせるために試練をお与えになります(ヨハネの黙示録3章19節)。私たちのためにいのちを捨ててくださった主の十字架の愛を覚えましょう。主は私たちを愛し、私たちを幸せにしようと目をかけておられるのです。私たちが心のすべてをもって主に立ち返るなら、主は私たちを建て直し、回復してくださいます。ですから熱心に悔い改めましょう。