2020年6月14日 メッセージ要旨
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                     聖霊の御声に心を開いて

                                            使徒の働き 7章51~60節
                                                                                                                                    
     
  ですから、聖霊が言われるとおりです。「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない。                         
                                   へブル人への手紙 3章7~8節(抜粋)
 
 聖霊に逆らう人は、強情で、心と耳に割礼を受けておらず(51節)、反対に、耳をおおいます(57節)。先祖たちが預言者を迫害したように、聖霊に逆らう人々が、正しい方イエス・キリストを殺す者となったのです(52節)。彼らは、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりし(54節)、彼に石を投げつけます(58節)。これが、聖霊に逆らう人々の姿です。

 一方、聖霊に満たされたステパノは、天を見つめます(55節)。人々の怒りと敵意に囲まれる中、彼の目には、神の栄光と神の右に立っておられるイエス様が映っています(55節)。そして、石打ちに会いながらも彼は祈り、自らの霊を主の御手にゆだね(59節)、自分に石を投げつける人々のためにとりなします(60節)。これが、聖霊に満たされた人の姿です。

 聖霊は、私たちの耳に心地よいことだけを語られるのではありません。聖霊が働かれると、私たちの罪も示されるのです。人は、自分のことを正しいと思いがちですが、罪のない人は一人もいないのです(ローマ人への手紙3章10節.ヨハネの手紙第一1章:8節)

 聖霊が私たちの罪を示される、それは、私たちにとって喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものです。しかし、その御声に耳をおおい、心を固く閉ざすなら、正しい方である主を締め出し、聖霊に逆らう者となってしまいます。聖霊の御声に心を開き、素直に悔い改めることで、私たちは聖霊に満たされるのです。

 十字架の上で私たちの罪を負われたキリストによって、私たちは罪赦され、御前に歩む者とされました。私たちは罪赦された者に過ぎません。そのような者として、その恵みにへりくだり、絶えず悔い改めるべきです。

 心を頑なにせず、聖霊の御声に心と耳を開いてまいりましょう(へブル人への手紙3章7~8節)