2020年5月31日 メッセージ要旨
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                     御国に向かう者として

                                            ヨハネの黙示録 1章1~3節
                                                                      
    
 この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである                         
                                     ヨハネの黙示録 1章3節
 「黙示」と訳されているギリシア語の「アポカリュプシス」は(1節)、もとは、覆いを取り除くこと、隠されているものを現すことを意味する言葉です。
 未来のことは、本来なら人の目に隠されていますが、神は、覆いを取り除いて、未来に起るべきことを私たちに明らかにしておられます(1節)。

 聖書には将来起こるべきことが記されています。キリストが再び来られると、今の罪の世は滅び去り、死も、悲しみも、苦しみもない、新しい天地が現れます(ヨハネの黙示録21章1~4節)。キリストを信じる人々は、栄光の主の似姿によみがえり、神の平和な御国を受け継ぎます。

 世人が、滅び行くこの世不確かなものに寄り頼む中、揺るがない永遠の御国に向かい、それにふさわしいくみことばを守る私たちは、幸いなのです(3節)。

 「すぐに起こるべきこと」(1)とありますが、預言のことばが記された、聖書が書かれた時代から現代に至るまでは、多くの時が経過しています。しかし、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです(ペテロの手紙第二38節)。また、主は、約束したことを遅らせているのではなく、だれも滅びることなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んで、忍耐しておられるのです(ペテロの手紙第二39節)。

 約束が成就されるのには、神の時があります(使途の働き17節)。しかし、神が定められておられる時が来ると、まさしく、すぐに、速やかに、神は実行なさいます。ですから、不意にその時を迎えすることがないよう、備えなければなりません(マタイの福音書2444節)。

 人は、自分の目で見て、体験したものについては詳しく語ることが出来ます。私たちの目は何を見ているでしょうか。神のことばとキリストを仰ぎ見て、深く知り、味わい、証しする者となりましょう(2節)。

 聖霊は、みことばを説き明かし、みこころへと導いて下さいます(ヨハネの福音書1426節)。また、聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です(エペソ人への手紙114節)。「時が近づいているからである」(3節)とありますから、主が再び来られる時に目を覚ましていることができるように、聖霊に満たしていただきましょう。

 御国にあずかるにふさわしく、みことばを守り、主がいつ来られても御前に立つことができる幸いな者として、歩んでまいりましょう。