2020年5月17日 メッセージ要旨
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                     良きに変える神の計らい

                                            創世記 50章15~21節
                                                                      
     
 あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。                         
                                  創世記 50章20節(抜粋)
 兄弟たちが悪を謀ったために、ヨセはエジブト奴隷として売られましたが、神はそのことを用いてヨセフをエジブトの支配者とし、飢饉の中にある多くの人々のいのちを救うという良いことのための計らいとなさいました(20節)。
 神の恵み深いご計画の中にあっては、マイナスもプラスに転じて、一切が良きにかえられるのです(ローマ人への手紙8章28節)。
 プラスに転じる神の計らいは、使徒の働きの中にも記されています。迫害によって散らされた人々は、福音を伝えながら諸外国を巡り歩きました。神は迫害という悪い出来事を、福音が諸外国に広がるという良いことのための計らいとなさったのです。
 また、パウロは、福音のために捕らえられ、囚人となってしまいましたが、彼にローマで福音を語る道が開かれました。神は、そのように悪い出来事でさえも、摂理の御手によって良きに変えられるのです。
 そのことを最もよく表している例は、十字架です。キリストは、当時、最も忌まわしい刑罰であった十字架につけられましたが、神は、その十字架を、信じる人々が罪赦されて救われるという良いことのための計らいとなさったのです。
 
兄弟たちがヨセフの前にひれ伏したことで、ヨセフがかつて見た夢が成就します(18節、37章7節)。しかし、そこに至るまで、ヨセフは奴隷とされ、囚人とされ、苦悩の日々を送らなければなりませんでした。主はそのようにして彼を練られたのです(詩篇105篇17~19節)。

 神は、私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせよとして訓練されます。喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われる一つ一つのことが、私たちに実を結ばせるための神の手入れなのです(へブル人への手紙12章10~11節)。
 兄弟たちは、ヨセフの仕返しを恐れましたが(15節)、ヨセフの兄弟たちとその家族を養うことを約束します(21節)。
 ヨセフのこの柔和さ、寛容さの中に、キリストのかたちが映されています。
 
 世にあっては様々なことがおこりますが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいます。ですから、恐れず、逆境に立たされても、そこに神の御手があることを、信仰の目で仰ぎみましょう。神はいつくしみ深く、良くしてくださるお方です(詩篇119篇68節)。神がすべてのことを良きにしてくださると信じて、歩んでまいりましょう。