2020年4月19日 メッセージ要旨
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                     主がともにおられるのだから

                                            ヨシュア記 1章1~9節
     
 恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにおられるのだから。                         
                                   ヨシュア記 1章9節(抜粋)
 
 カナンの地に入ろうとしているイスラエルの民は、「乳と蜜の流れる地」と言われる産物の豊富な地に期待する反面、強くて堅固な町を持つ人々に恐れを抱いたことでしょう。

しかし、カナンの地に何が待っていようとも、神がともにおられるのですから、ヨシュアも民も恐れることはないのです(9節)

同じように、明日の日に何が待っているのか、私たちにはわかりませんが、私たちが行くところどこででも、神がとともにおられます。ですから、恐れることはないのです。

神が私たちとともにおられるなら、立ちはだかるものは何もありません(5節)。神が私たちの味方であるなら、だれも私たちに敵対できないのです(ローマ人への手紙8章31節)

神は私たちを見放さず、お見捨てにはなりません(5節)。ですから、私たちは神を信頼し、神のうちにとどまりましょう。神から離れては、私たちは何もすることができない弱い存在なのです。神のうちにとどまることで、偉大な御力によって守られるのです。

神のうちにとどまる人は、みことばにとどまります。絶えずみことばにとどまり、みことばを守り行うことで、私たちは栄えることができるのです(7~8節)

神は、これから与えようとしておられる地を(2節)、すでに与えていると仰せになります(3節)。神が約束のとおりカナンの地を与えてくださると信じて進んで行くなら、民はすでにその地を手にしているに等しいのです。私たちも、神のご計画は必ず実現すると信じて進んで行くなら、その幸いな未来をすでに手にしているのです。

人は恐れやすい弱い存在です。しかし、十字架と復活によって、私たちの最後の敵である死を滅ぼしてくださった主が、私たちとともにおられます。主とともに歩むならいのちがあり、滅びることがありません。死を乗り越えて永遠に生き続け、輝く御国に到達するのです。主がともにおられるなら、その道のりはみな平安です。

 私たちが行くところどこででも、私たちの神、主が私たちとともにおられます。ですから、恐れず、主を信じて、平安のうちに歩んでまいりましょう。