2020年4月12日 メッセージ要旨
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                                                              イスター礼拝
                     信仰の目で仰ぎ見て

                                            ヨハネの福音書 20章24~29節
     
 イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」                         
                                   ヨハネの福音書 20章29節
 
 主イエスは復活して、弟子たちに姿を現されましたが(19節以下)、その時一緒にいなかった弟子トマスは、イエス様と一緒にいた弟子たちの証言を信じることができません。手を十字架に釘付けられ、脇腹を槍で突き刺された(19章34節)、主の十字架の傷跡を自分の目で確かめなければ、トマスは主の復活を信じることができなかったのです(25節)。

 しかし、実際にはトマスがその姿を見ていないだけで、主は確かによみがえられ、生きておられるのです。

 落葉樹は冬の間葉が落ち枯れ木のような姿になりますが、実際には枯れてしまったのではなく、生きています。目には見えませんが、そこにいのちがあるのです。同じように、私たちがさまざまな苦難によって枯れ木のようになっているときも、目には見えませんが、復活の主が私たちとともにおられ、主のいのちが私たちに働いているのです。

 
冬の間落葉していた桜の木も、春になると花開き、新緑が芽生えます。私たちも、キリストの死と同じようになっても、キリストと一つになっているから、やがて葉を茂らせ、豊かに実を結び、キリストの復活と同じように栄光に輝くときが来るのです(ローマ人への手紙6章5節)。
 イスラエルの民がバビロン捕囚のようにな受難としか思えない状況に置かれても、神が私たちのために立てておられる計画はわざわいではなく、将来と希望を与えるものなのです(エレミヤ書29章11節)。十字架の向こうに復活があるように、日々の労苦の向こうに将来が待っています。

 主はトマスの前に姿を現し、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(27節)、「見ないで信じる人は幸いです」(29節)と仰せになります。目に見えなくても、復活の主が生きて私たちに働いておられる、私たちが主の復活と同じように栄光に輝くときが来る、そのことを信じて、信仰の目で仰ぎ見てまいりましょう。