2020年12月6日 メッセージ要旨
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                                                             アドベント第二週 
                     主は私たちとともにおられる

                                           ルカの福音書 2章41~51節
                                                                                                                                   
     
 どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。
                                          ルカの福音書 2章49節(抜粋)
 
 イエスが12歳になった時、両親と過越しの祭にエルサレムに行き祭りが終わり、帰路についたヨセフとマリアは、一行の中に少年イエスがいないことに気づいて、捜しながらエルサレムまで引き返します。宮で教師たちの真ん中に座っておられるイエス様を見つけて、マリアは、「どうしてこんなことをしたのですか」と言って驚いています(48節)

 「どうしてこんなことを」と、人が驚き、戸惑うことを神はなさいます。祭司ザカリヤは、年をとってから、同じように年をとった不妊の妻エリサベツが男の子(バプテスマのヨハネ)を産むと御使いに告げられ、驚きます(1章18節)。マリアも受胎告知の場面で、「どうしてそのようなことが起こるのでしょう」と言って戸惑っています(1章34節)

 見たことも、聞いたことも、思い浮かんだこともないものを、神は、愛する者たちに備えてくださいます(コリント人への手紙第一2章9節)。救い主が最もむごい十字架に死なれることも、当時の人々にとって、思いも寄らないことだったに違いありません。ですから、キリストが十字架につけられたとき、従って来た人々は、「どうしてこんなことになるのか」と困惑したことでしょう。しかし、キリストが人々の罪を負われたその十字架によって、神は、信じる人々に罪赦される救いの道を開かれたのです。

 コロナ禍にある今、人々は、このような事態に困惑しながら歩んでいます。しかし、このことも、神が救いのご計画の中で起しておられることなのです。

 ヨセフとマリアが心配して捜し回らなくても、イエス様は神の家である神殿におられました(49節)。多くの人が集まることが難しいコロナ禍にあって、私たちの教会は礼拝出席者が半分くらいに減り、今年のクリスマスは、祝会も愛餐会も開くことができません。しかし、どこに主の働きがあるのか見出しづらいこのような中にあっても、主は神の家である教会におられ、私たちとともにおられるのです。

 落葉樹は、冬の間、葉を落としますが、枯れているのではなく、成長し続け、時が来ると豊かに葉を茂らせ実を結びます。私たちも、今は成長を目で見ることは難しいかも知れませんが、このような時も主の御力によって成長し続けているのです。そして、時が来ると豊かに実を結びます。

 主はどのような時も私たちとともにおられる、そのことを信じて、歩んでまいりましょう。