2020年11月29日 メッセージ要旨
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                                                             アドベント第一週 
                     神の民の人柄を持つ者として

                                            エステル記 2章1~23節
                                                                                                                                   
     
 あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです。
                                          マタイの福音書 5章16節(抜粋)
 
 ペルシャ王アハシュエロスの時代前ワシュティ王妃に代わる新しい王妃を選ぶために、未婚の娘たちがスサの城に集められます。しかし、王妃になれない多くの娘たちには、側女とされ、王の指名なしには二度と王のところに行けず(14節)、若くしてやもめのようになり、幽閉される不幸な境遇が待っていました。

 ですから、このような王妃選びに巻き込まれることは、エステルにとって不本意で困惑することであったと推測されます。けれども、そのことの背後に、エステルを王妃にしてユダヤ人を滅亡の危機から救うという神のご計画があったのです。

 私たちにも、不本意で困惑することは起こり得ますが、それは神のご計画と無関係に起こるのではありません。神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となるのです(ローマ人への手紙8章28節)。ですから、どのようなときも神を信頼して、みこころにゆだねてまいりましょう。

 エステルは女たちの監督官ヘガイの目にかない、特別な待遇を受けます(8~9節)。ヘガイは、エステルこそ王妃とされるにふさわしい人と考えたのです。

 エステルはヘガイのみならず、彼女を見るすべての者から好意を受けます(15節)。そして、ついに、彼女は王の好意と寵愛を受け、王妃とされます(17節)。そこに、ご自分の計画を実現させる、神の目に見えない御手が働いていたことは確かですが、それとともに、すべての者から好意を受ける彼女の人柄にも、王の寵愛を受ける要因があったことも否めないでしょう。

 王のところに入って行くとき、願うものはみな与えられるところを(13節)、エステルは、ヘガイの勧めたもののほかは、何一つ求めませんでした(15節)。彼女のそのような品性は、モルデカイの神の民としての養育によって培われたものです(20節)。エステルは、自分の民族を明かしていませんでしたが(10節、20節)、彼女の神の民としての人柄は、彼女を見るすべての人の目に明らかにされていたのです。

 キリストは私たちを救うために十字架にいのちを捨ててくださいました。自分の利益を追い求める世にあって、私たちが主の愛に根ざして隣人の益となるよう生きることで、神の民としての人柄が人々の目に明らかにされるのです。

 エステルが、自分の民族を明かさなかったように、私たちも異教の国日本において、自分がキリスト者であることを明かす機会は、そう多くはないでしょう。しかし、神の民としての人柄は人々の前にあらわされます。私たちが神の民として栄光に輝くことで、人々は神をあがめるようになるのです(マタイの福音書5章16節)

 エステルのように、神の民の人柄を持つ者として歩んでまいりましょう。